WBC出場に対する批判と、相撲界批判。

日本のWBC出場が決定した。
この件について、プロセスの是非を判断するのは非常に難しく、
相撲ブログの管理者としてこの難しい問題をどのように捉えるか
打ち出すために様々な情報を確認したのだが、
総じて言えることは批判に次ぐ批判である。
そもそも不参加の理由がMLBとの収益分配率の
是正だったにもかかわらず
MLBの譲歩が無い状態で妥結したこと、
そしてWBCのロゴを使用しなければ
独自のスポンサー活動ができるということで
手を打ったということにより
「結局金で転んだ」という主張を受けてしまう羽目になった。
全ての問題が解決されなければ
結局問題は今後も残ってしまい、当初選手会が
唱えた主張は一体なんだったのか?
と言われても致し方ない。
だが、こうした意見がいかに筋が通っているとはいえ
私はこの決定に肯定的であった。
理由は判らない。判らないのだ。


何故なのか。
この批判が論理的矛盾をはらんでいることを
何となく感じているせいなのか?
私がある主張に対して批判的である場合は
大抵掘り下げてみると主張のどこかに粗が有るので、
今回もそういうことではないか?と思い、
様々な角度から検証してみた。
だが、この意見については崩せる要素が無いのである。
そして、こうして隙が無いことに気づかされると
殆どの場合はそちら側の意見に従うものなのだが、
今回はどうも様子が違う。
ここで私は考えた。
論理的に筋が通っている意見に対して、
それでもそれに対して共感しないのは何故か。
すると、私は同じケースが相撲界を批判されていた時に
感じていたことに気づいた。
朝青龍の素行問題、八百長問題、大麻問題。
いずれの問題が発生したとしても、
私は罪を憎むことは有っても相撲そのものを
嫌いになることはなかった。
WBCと、相撲界批判。
この二つをつなぎ合わせるモノは一体何か。
続く。

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