【緊急討論】相撲の応援に、コールや手拍子はアリ?ナシ?

9日目に名古屋場所に足を運んできた。
祝日ということもあり、満員御礼が出るほど
沢山の方が来ていた。
最大の争点だった稀勢の里の綱取りが潰えても
ある程度入ることが立証され、安堵した。
また、幅広い年齢層のファンが居て、
相撲リスペクトが啓蒙されて尽くした世代以外にも
相撲が浸透していることが嬉しかった。
だがその影響なのか、東京と比べて気になる傾向が有った。
そう。
応援である。
早い話が、コールや手拍子が非常に多いのだ。


これらは東京でも確かに発生はする。
しかし、良くも悪くも東京の土地柄というか、
参加型の応援をするには比較的シャイな人たちが多く、
その結果としてあまり浸透しないのである。
それだけに、この名古屋の傾向は驚いた。
良く言えば、積極的に楽しんでいる。
悪く言えば、周りへの配慮が無い。
こうした傾向に対して、ツイッターでは
批判多数という結果だった。
下品。
相撲はスポーツではない。文化だ。
騒ぎに来てるだけ。
言いたいことは分かる。
今まで自分達が観てきた相撲の見方とは異なるのだから、
そりゃ戸惑う。
そして、本来は文化的背景を知識として備えているのが
前提条件のはずなのに、それすらも出来ていない。
そういう姿勢に苛立つことは十分に理解できる。
私もどちらかと言えば、苛立つサイドだ。
だが、外国に巡業に出た際に、力士をコールしたり
手拍子をしたりした場合、私達は彼らを諌めるだろうか?
文化的背景を理解させるのが難しい人たちに、
自分達の見方を要求するのは困難である。
しかも、彼らは心の底から相撲を楽しんでいる。
彼らの楽しみ方を目の当たりにすると、
それはそれでいいじゃないか、となる。
少なくとも、私は。
古来からのマインドを次世代にも継承すべきなのか。
一つの楽しみ方として許容すべきなのか。
座布団投げは、定着してしまった。
これらは、どう向き合うべきなのか。
相撲人気回復のためには、多様な見方の一環として
受け入れるのも一つの選択肢ではある。
だが、相撲独自の文化性を喪失することになる。
そして、楽しみたい人たちの楽しみを奪うことにもなる。
だが、この応援に関してはいわゆる「同調圧力」が生じるのである。
「きっせのーさと!きっせのーさと!」
と隣の人が手を叩き始めたら、何だか周囲も
やらねばならない空気が生じてしまう。
やってる本人は周囲に強制している気は更々無いのだが、
捨ててもおけないし、やらないとその人が寒い感じになってしまうので
お情けで乗っかる。
だから、コールが始まって最初はそれなりなのだが
割とすぐに収まっていく。
観客も一体となって力士を後押しする、というのは
声を出しても出さなくても出来ることである。
だが、声に出すことによって醸成される
麻薬のような楽しさが有ることは事実である。
事実、サッカーのゴール裏や野球の外野席に入ると
やみつきになって、頻繁に足を運ぶことになるのだ。
我々は、どう在るべきなのか。
守るべきか、認めるべきか。
皆様のご意見を是非賜りたい。
ご意見、お待ちしています。

【緊急討論】相撲の応援に、コールや手拍子はアリ?ナシ?” に対して9件のコメントがあります。

  1. 日本人です より:

    コールはなしかと。サッカーのような集団競技、しかもサポーター勢力がハッキリと色分けされて陣取れる位置ならいいですが、相撲はそうではない。競技者は1対1.しかもそれをプロレスのような善玉と悪役に分ける必要もない競技。ホーム対アウェーの空気は必要ないと思うのです。「神事」といいつつ、神はモンゴルを敵視し、キセを守る神ですか?チガウと思いますが。カイオーコールのなかで記録達成の朝青龍が記憶にありますが、いまのキセコールはそれよりはるかに酷い。あれはキセすら潰しかねない。そうした空気の中で粛々と相撲をとる白鵬や日馬富士、琴欧州らが、かえって立派に映りますね。横審も有識者集団として、このこと考えてほしい。

  2. Xe より:

    今時あまり見かけない表打ちの手拍子に合わせた四股名のコールは、年配の方から発生されたものであると容易に想像することができます。暑い夏の休日の昼間です。きっとアルコールも入っていることでしょう。そんなものを誰が止めることができる事ができるでしょうか。
    しかし、割とすぐ収まるということは、周りの観客の方々も「それじゃない」とわかってらっしゃるのでしょう。田舎者が、ニワカがと白い目で見ているのかもしれません。
    他のスポーツ、演劇、コンサートなどなんでも、応援なのだから、まず自分が気持ちの良いものではいけないはずです。やはり相撲の場合でも土俵に立つ者が主役であり、それを盛り上げるための応援である事を忘れてはいけないと思います。しかし応援団やファンクラブが取り仕切るわけではない相撲観戦においては、観客同士で空気を作りあげるしかないのだから、なかなか難しいですね。そしてそれが間違った方向に出てしまっているのが座布団投げなのでしょう。手拍子応援がそうならないことを願うのみです。

  3. きしめん より:

    本場所開催地の東京、大阪、名古屋、福岡のそれぞれの文化があるということでしょうね。
    力士の集中力や他の観客の興を削ぐものでなければ、アリだと思います!大切なしきたりは残しながらも、新しく変わる所は変わりつつ。
    相撲部屋で言えば、貴乃花部屋と高田川部屋。双方とも叩き上げ力士育成に力を注ぐ基本姿勢も、外国人の貴ノ岩と大卒の貴麻衣を入れた貴乃花部屋。竜電、達など、あくまで叩き上げにこだわる高田川部屋。
    貴乃花部屋+高田川部屋÷2。
    この2部屋に譬えつつ、状況に応じた変り身と初志貫徹のこだわりをうまく足して2で割っていければいいですね。最後は抽象的になりましたが。

  4. hamausu44 より:

    いつも楽しく拝見しております。さて、表題の件ですが、私の様ににわかファンからすると全く気になりませんでした。今回も中日8日目に正面自由席で観戦いたしましたが、意識することも無かったです。これは、私自身に何の問題意識も持っていなかったにすぎませんが・・・。地方在住(私の場合浜松市)の身にとってみれば、年一回の地方場所。本場所開催中に何度も通えるわけではなく、この一日に賭ける気持ちが強い気がいたします。従って少しお祭り騒ぎもしてみたくなるのかも知れません(私自身はヨコハマ出身ということもあり、声援を送ることすら恥ずかしくて出来ません)。さらには、名古屋という土地柄(人柄?)が一層‘コール・手拍子’につながっているのでしょう(尾張/三河でも性格はかなり異なるようですが・・・)。それでも、時間一杯、立会直前ではシーンと静まりかえるくらいの緊張感も‘名古屋’は合わせ持っていると思います。かつて、幼少の頃、蔵前時代の国技館に行ったことが何度かあります。その時の印象と比較するならば、東京場所は格式めいた緊張感が覆う雰囲気である一方、名古屋には地方場所独特の‘緩さ’みたいな印象はあります。力士も観客も協会関係者も混然一体となっているのが、‘名古屋’なのではないでしょうか?(30年以上前、北の湖親方が現役バリバリの横綱を張って、千代の富士が入幕間もない頃の時代の本場所と比較するのも妥当性はありませんが・・・)。追記:ツイートもフォローさせていただいております。毎々、面白く、勉強になることばかり。感謝です。

  5. Nihiljapk より:

    >きしめんさん
    仰る通りで、「何を変えて、何は残さねばならないか」。
    これが様々な面で問われているのだと思います。
    相撲の本質的な魅力や、文化的側面を考えて、
    現代に迎合すべきところは受け入れる。
    残さねばならない部分は理解を求める。
    それが結構難しいのですが…

  6. Nihiljapk より:

    >日本人ですさん
    確かに稀勢の里への応援が度を超していて、
    プレッシャーにしか成っていないし、
    思い入れを単に押しつけるだけの行為に
    成ってしまっているんですよね。
    例えるなら、競馬のG1レースの前の歓声。
    自分が好きな馬に勝ってほしいことが
    声援に繋がっていると思うのですが、
    声援を上げることが馬達から冷静さを奪い、
    ベストなパフォーマンスを出せなくなる。
    本末転倒ではあると思います。
    誰のために、何故それをするのか。
    一度考えてほしいと思います。

  7. Nihiljapk より:

    >amausu44さん
    正に仰る通りで、東京と名古屋は楽しみ方が違うな、
    という印象を受けました。
    自分が楽しみ、周りと共有したい、というのが
    名古屋の方の考え方で、だからこそ声を出す。
    1年に一度のお祭りを担っている、という
    認識もそれを助けているのかもしれませんね。
    そうした会場の雰囲気を好きか、共感できないか、
    というのはまた別のベクトルの話かなと思います。
    ただ、伝統的な相撲の見方とは少し異なる見方で、
    ちょっと行き過ぎたところが有ったのは事実かなと。
    そう考えると、相撲の見方を考え直す、
    一つのいいきっかけになったと思います。
    いつもブログ・ツイッターご覧いただき有難うございます。
    これからも、よろしくお願いいたします!

  8. ゆーり より:

    ナシかアリで言えばアリだと思いますね。
    それは、手拍子することが相撲のしきたりや文化に反するものとは聞いたことがないから。
    つまり明確に否定する理由がないということです。
    現在の相撲が興行である以上、応援の仕方は観客が作るものと思っています。
    ただ!すごく「嫌い」です。
    それは私の感覚では手拍子やコールは「アンフェアー」だと思えるから。
    例えば、サッカーではホーム&アウェイがあるのでホームでは全力で自分のチームを心置きなく応援すればいい、五輪や世界大会もあくまで数ある大会の1つとしてホームグラウンドがあるので自分のご当地を応援するのは自然の成り行きと割り切れるわけです。
    しかし、相撲は全て日本で実施します。
    もちろん直接ご当地とは言いがたい県出身力士(北海道や高知県など)もいますが、幕内の多数を占めるようになった外国人は基本的には応援団もきません、ましてや手拍子やコールを受けることはまずありませんね。
    そういった意味で今の外国人はアウェイ(ご当地力士の相手)にはなることがあっても、ホームグラウンドとしてありえない、ましてや手拍子やコールを受けることがないという点で非常にアンフェアに感じるわけです。
    だから、幕内の多勢が日本人が占める時代が続いていたのであれば私は手拍子やコールは賛成してたかもしれません。
    あくまで、日本人力士の中で人気の差が出てるだけだと。
    特に最近の過度な日本人への期待は、裏返せばアンチ外国人のニュアンスを感じてならないわけです。
    その行き着いた結果が稀勢の里への過度な期待と甘い昇進、日馬富士への過度な要求と横審の暴走に思えて仕方ないです。

  9. 通りsgr より:

    私自身、学生時代に相撲をやっていた経験があるので、そのバイアスが多少なりとも入っているとは思いますが、今場所の応援、或いはコールは非常に不愉快に感じました。
    過分の声援は、土俵下に居る高見盛の背中を叩いての「応援」と同様に、土俵に向き合おうと集中している力士の妨げになるのではないでしょうか。
    また、仕切りの際に、観客からの声があったため直した相撲も何番かあったと記憶しています。
    以上のように、(特に今場所の応援、コールは)力士、観客の双方にとってデメリットが多分にあるように見えました。
    ただ、私は禁止すべき、までは言うべきでないと考えます。どこまでが奮起につながるのか、どこで黙るべきなのか、というのは、それこそ「しきたり」を学ぶべきでしょう。
    (まぁ加えて私個人、稀勢の里嫌いなんで、あのコールは何時聞いても「やめろよ…」って思いますけどね。)

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