元関取が幕下で取る理由。2
親方として相撲界に残るために
かつて付き人に身の回りの世話をさせていた自分が
付き人として後輩の世話をする。
彼らを動かすものは、明日を掴むこと。
力が落ちようとも可能性がある限り、
心が折れるまで土俵に登り続ける。
力が僅かに足りぬ者が、少し足りないことを
自覚しながらも諦めきれずに戦う。
こういう生き方もあるのだと思う。
だが、元関取には彼らとは少し異なる人種も存在する。
彼らの体格を見る。
明らかに全盛期と比べると脂肪が重力に負けて
垂れ下っている。
彼らの相撲を見る。
明らかにスピード感が無い。
相手の動きの速さについていくのがやっとである。
もろ差しの態勢で絶体絶命の中、
足をばたつかせて吊り出しに遭う。
彼らのそれにはストイックさが無い。
高貴なプライドも感じない。
そう。
そこに有るモノは、惰性である。
彼らは成長株を倒す時もあるが、
あくまでも今までのインサイドワークで
相手をどうにか崩して自分の形にするという
全盛期の頃の貯金によって成されているだけなのである。
では、彼らは給料も出ない、
今の実力では相撲界にも残れないのに
現役で居続けるのか?
彼らは、相撲以外に生きる術を知らないのだ。
物心付いた時から相撲を取り続け、
相撲で好成績を残すことがアイデンティティの人種にとって
相撲をしていない自分など、全く想像がつかないのである。
つまり、自分から相撲を取った時に
どうすればよいかが判らず、
しかし実力差が歴然としているため
向上心を持って相撲を取ることが出来ず、
結局惰性で土俵に上がることを選んでいるのだ。
相撲を取り続けることで残されたプライドを満たし、
そして相撲を取り続けることでプライドを汚す。
彼らは自らに引退と言う、力士にとっての死を
迎えさせることが出来ず、
幕下で堕落した相撲を取ることによって
延命措置をし続けているのである。
しかし、現役生活とは永遠ではない。
延命措置を継続していても、死は訪れる。
そして、その酸素マスクを外すのもまた、
自分なのだ。
幕下とは力士の最後の戦場である。
そしてそこには一人も勝者は居ない。
ただ躯がそこかしこに転がるだけである。