モンゴル人と幕下相撲2。

現在相撲界に所属しているモンゴル人力士が
27名居る中で、十両以上が10名、
そして最も多いのが幕下で
13名となっていることが判明した。
数字を考えると、その特筆すべき
優秀さに驚かされることだと思うが、
天邪鬼的な観点からこのモンゴル人比率を
考察してみよう。
つまり、比率として最も多い幕下力士が
どのような背景から十両以上に
昇進できていないか?
ということである。
というわけで、幕下在籍のモンゴル人力士について
デビュー年度を調べてみた。
すると、意外な事実が判明した。


以下が、力士別のデビュー年度である。
15年以前(デビュー8年以上)の入門:7名
鬼嵐(12年)、千昇(13年)龍皇(12年)鏡桜(15年)魁(15年)
保志桜(12年)、大鷹浪(13年)
20年以前(デビュー3~8年)の入門:3名
旭秀鵬(19年)青狼(17年)透川(18年)
20年以降(デビュー3年以内)の入門:3名
東龍(20年)竜王浪(22年)貴ノ岩(20年)
四股名に龍が多いのは只の偶然だと思うのだが、
それは取り敢えず関係無いので本題に戻る。
この事実から透けて見えるのは、
モンゴル人であっても幕下で頭打ちになる力士は
かなり多いということである。
朝青龍の成功を目の当たりにした
モンゴル人がジャパニーズドリームを求めて
日本の相撲界に飛び込んでくるのである。
そして、日本の相撲部屋には外国人枠というのも有り、
部屋としてもどうせ獲るなら優秀な
モンゴル人が欲しいと思うのは至極当然なのだ。
こうした中で獲得するモンゴル人というのは
選りすぐりのエリートだということは
簡単に想像がつく。
つまり、幕下で結果を残せずにいる
モンゴル人すら元を正せばエリートである、
ということなのだ。
比率を考えれば驚異的に映るかもしれない。
今の相撲界をモンゴル人が席巻しているというのは、
優秀なモンゴル人が日本の相撲に適応している
結果と言えるのだが、彼等と同等、いや
潜在能力ではそれ以上かもしれない人材が
その陰で幕下の壁に阻まれて
日の目を見ぬままモンゴルに帰国している
という事実が有ることを覚えておかねばなるまい。
幕下というのは彼等にとっての第一の関門であり、
成功を掴み取るにはどうしても乗り越えなくてはならない
壁で有ることがお判りいただけただろう。
しかし、ジャパニーズドリームを掴み取るべく
モンゴルから日本に来て、夢叶わずに
帰る者を待ち受ける運命とはどのようなものなのか?
中学卒業時に「次来る時はJリーガーになっています」
と言い残したはいいが、1週間で高校のサッカー部を
辞めてしまった従兄弟を持つ私としては
そこに思いを馳せずにはいられないのである。

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