「心の番付」を高めることの意味。吐合さんと式秀親方が教えてくれたこの言葉から、デーモン閣下の発言を振り返る。後編

-前回からの粗筋-
近年外国人力士が増加し、また力士の在り方について
議論が為されている昨今。
先日デーモン閣下が白鵬に対して物申したことも
話題になっている。
だが一つ言えるのは、相撲とはただのスポーツではない。
そして、ただ強いだけでは、力士は務まらないということ。
そんな想いを強めたエピソードを紹介したい。
5月場所に幕下力士:吐合さんと私が話していた時のこと。
ひょんなことから元北桜の式秀親方もその場に加わった。
北の湖部屋で先輩後輩の関係である2人は、
非常に親しいようで、会話が弾む。
そして、私が吐合さんの応援ブログを書いていることを知ると、
非常に興味深いことを教えてくれた。
「私がよく、TVの解説をする時に『心の番付』って言葉を使うんですけど、
 実は、吐合からもらったものなんです。」
心の番付。
力士というのは強いだけではいけない。
相撲を通じて人間性を高めること、つまり「心の番付」を高めることで
自分の弱さに向き合い、力士としても人間としても成長する必要が有るのだという。
幕下というのは120人が犇めく地位で、1場所辺り4名程度が
十両に昇進することになる。
私は幕下を
「未完のエリート、相撲を覚えたての外国人、再起を賭ける元関取、
そして特別な能力を持たない一般人が同じ土俵で戦う世界。それが幕下相撲。」
という言葉で評しているが、その心は様々な背景を持つ者達が
超人に成るための最後の闘いをする場だということだ。
誰もが足りないものを抱えながら自分の弱さに向き合い、
時に勝ち、時に敗れる。
これを繰り返しながら幕下を生き抜く為の術を身に付ける。
そしてそれは、技術や体力を高めることに留まらない。
弱さとは人間的な弱さも多分に含まれる。
強い押しを受けてしまった時、正面から引いてしまう。
立ち合いでプレッシャーを感じ、受け止めずに変化してしまう。
こうした逃げの変化は、悪い結果しか生まない。
吐合さんは両膝の骨が見えるほどの大怪我を負い、
しかも突き押し相撲にもかかわらず、ある事情から
全盛期を20キロ下回る身体での闘いを余儀なくされている。
北桜さんはその時も「あと20キロ有れば」と漏らしていた。
誰にも出来ない2段階の突き押しが出来るため、
吐合さんを天才と評しているのだが、突き押しを有効に使うためにも
相手の攻めを受けるためにも、20キロは欲しいのだという。
吐合さんは、逃げの引きを見せない。
そして、立ち合いで変化しない。
無い体で勝つために、技術と心を鍛えて対峙する。
だが、それでも勝てないのが幕下の厳しいところだ。
理不尽な理由から、取りたい相撲が取れない吐合さん。
1点の曇りも無く十両を目指しながら、
真摯に自分に向き合いながらも齢を重ね、力士としての死は刻々と迫る。
そんな状況を見かねた式秀親方が、仲の良い吐合さんを励まそうとしたところ
吐合さんの口から出たのが「心の番付は上っていますから」ということだった。
そしてその言葉に感銘を受けた式秀親方が、
今も尚放送の時に使い続けている。
そういうことだったのだ。
何と重い言葉だろうか。
そして、私が相撲を、ひいては吐合さんを追いかけている理由は
正にこれなのだと気づかされた。
我々は相撲を競技として見ている。
だが、相撲はスポーツであってスポーツではない。
土俵の上から透けて見える人間性に、我々は想いを託す。
勝って奢らず。
負けて腐らず。
そう。
土俵上で見せる相撲の精神性こそが、相撲を相撲たらしめているのだ。
相撲部屋は、単なるアスリート養成学校ではない。
相撲を通じて心の番付を高めること。
それこそが力士としての実力を高め、そして社会人として、
人間として生きていくための力を身に付けることに繋がる。
皮肉にも吐合さんは、怪我をしたからこそ
今の体で闘っていくために自分に向き合い続け、
心の番付を高めながらも実際の番付が追いつかない結果になった。
勿論これはジレンマである。
力士にとっては番付を高めることこそ、自分の存在意義なのだから。
だが、そういう吐合さんの生き様が私の心を動かしたのだ。
もし、これが強いだけの力士だったらどうだろうか?
誰がそのような相撲に魅せられるのだろうか?
相撲だけが持つ面白さ。
それは「心の番付」を伸ばすことで観る者を揺さぶる
相撲を見せてくれるからだと思う。
そしてそれこそが、デーモン閣下が白鵬に伝えたかったことではないかと
私は思うのである。
土俵外で「心の番付」の高さを見せてくれた白鵬だからこそ、
土俵上でもその姿を見せてほしい。
相撲界の頂点として、そしてこれから優勝回数が
大鵬千代の富士を上回るであろう稀代の名横綱として、
それは在るべき姿ではない。
何故なら我々は、力士達が「心の番付」を高めようと苦闘している姿の中に
相撲を見出しているからだ。
様々なスポーツが出現する中で相撲が支持され続けているのは、
相撲がSUMOではなく相撲であることを選び、
こうした精神性を永く保つ続けているからに他ならない。
伝統の中に流れる奥深き精神性。
理不尽とも言えるカーストに身を置きながら、
己を最大限に高め、身を立てようと努力し続ける姿勢。
これはいわゆるスポーツには無い、相撲だけが持つ個性である。
だから私は相撲が相撲で在り続ける限り、
見続けようと思うのだ。
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