コール無き国技館という劇的な変化。天覧相撲は観客の意識を変える結果となったのか。
昨日国技館で観戦した時のこと。
熱戦の続く幕内。
終盤戦ともなると好取組が続くので、
観ている側も力が入る。
勝負の一番で勝利し、優勝に望みを繋ぐ力士。
そして、勝ち越しに向けて前進する力士。
このような視点は、力士に感情移入させることになる。
そして、少し足りない部分を声援で後押ししようとする。
周囲からも力を得たいと考えるのは、最近では自然なことだ。
稀勢の里や勢といった人気力士が土俵に上がると、
ここで最近であれば当然のように
稀勢の里コールや勢コールが掛かる。
…はずだった。
だが、何も起きない。
何も起きなかったのである。
私が国技館に足を運んだ時に、
コールが起きないケースなど無かった。
それほど、最近の応援の中でコールというのは
定着しつつあるものだったのである。
熱戦に集中する中、私も最初は気付かなかった。
応援に意識が向かうのは、少し気持ちに余裕が出来た時だからだ。
稀勢の里がどうにか安美錦を退けたことが
私を落ちつけたのではないかと思う。
こんなことが有るのか。
驚く私。
そして更に驚くべきことが起きた。
そう。
白鵬豪栄道戦である。
全勝の白鵬に、勝ち越しに向けて黄色信号から
赤信号が灯りつつある豪栄道。
何とか3場所での陥落を避けてほしいという想いと
優勝争いを面白くしたいという想いが連なってか、
豪栄道を後押しする声援が鳴り響く。
遠藤や稀勢の里の時も凄い声援だが、
この日一番の声援が豪栄道に対して向けられていた。
まるで地鳴りのようである。
これは応援というよりは、もう観客の願いであるようにも感じた。
そして地鳴りのような声援が起きる中、
館内の数か所で「ごーえいどう!ごーえいどう!」という、
コールを促す声が挙がった。
だが、殆どそれに乗る人は居なかった。
コールは自然消滅し、取組が始まったのである。
コールは周囲が始めると、特に自分の意志とは関係無く
乗ってしまいたくなる誘惑に駆られる時が有る。
自分がやらないことによって変な空気を作りたくないからだ。
これは、オリンピックおじさんから力士を応援する紙を
渡された時に断りづらいのと同種の感情である。
自分の意志によって、その人や周囲の平穏を崩したくない。
この場合は、コールする人の意に沿うことが
平穏を保つことになるのである。
だからコールを先導すると、周囲は結構乗ってくれるのだ。
最近流行している言葉を使うとすると、
これはいわゆる「同調圧力」というやつである。
この日の観客は自ら同調圧力を制して
コールをしないという意志表示をした。
これは驚くべきことである。
コールに対してこのような対応を行った契機は
恐らく天覧相撲であろう。
天覧相撲で観られなかった「コール」。彼らは何故コールをしなかったのか。大相撲の応援文化を改めて考える。
それ以外にコールに対して明確な変化が生まれる出来事は無い。
あの時は、コールは起きていなかった。
つまり、
「彼らはコールすることについて、行儀が悪い自覚が有るのだ」
と私はこの日記したのである。
天覧相撲が風化した時、またふとコールに乗ることが有るかもしれない。
そして、地方会場では恐らくそうした
認識には至っていないのではないかとも思う。
故に、これがこの日限りのことである可能性はある。
だが、私はあの天覧相撲で応援に対して観客が
己のスタンスを振り返ったこと、そこにこそ意味が有ったと思う。
天覧相撲は、こんなところにも影響を及ぼしていたのだ。
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8日目のお客さんと11日目のお客さんはほとんどが別の人たちでしょうから関係ないでしょうね。