みんなの白鵬から、分かる人には分かる白鵬への変化。変化に対する、深い悲しみを考える。
白鵬が立ち合いの変化で稀勢の里を下した。
変化に関しては喰らう力士が悪い。稀勢の里は変化を喰らう相撲を取ってしまった。それ故に変化の一瞬で勝負が決してしまった。
白鵬は勝った。
稀勢の里との一番に勝った。
稀勢の里の隙を見事に突いて勝った。
本来はこの一番、稀勢の里の不出来を責めることで終わる。稀勢の里の無策と、変化に屈する脆さをこの一番で見せたことを責めるべきだ。稀勢の里は反省せねばならない。この大一番を、立ち合いの変化という奇策で終わらせてしまったことについて振り返らねばならない。
そしてその勝ち方は、ルールに則したそれだ。白鵬は決してルールの抜け穴を探して稀勢の里を嵌めた訳ではない。これまでも幾度と無く行われてきた手法で、稀勢の里を討ち取った。ただそれだけのことだ。
白鵬は稀勢の里と相撲を取り、その勝者は白鵬だった。
それは今回ばかりは子供の目にも明らかだった。
だが。
やはり「だが」が付いてしまうのである。
それでこの取組は終わりにでは出来ない。私もこの結果を反芻した。この結果を俯瞰した。客観的事実に向き合い、あくまでもやって良いことの範疇だということを再度考え直した。
悲しいことに、今日の白鵬は稀勢の里を相手に逃げてしまった。
そう映ってしまうのである。
これは捉え方の問題だ。実際は秘策だったのかもしれない。そしてそれを思い切って遂行しただけに過ぎないのかもしれない。稀勢の里の脆さという側面、そして白鵬の賢さということで終わらせることも出来る。だが、今回の取組を巡る様々な事情は、白鵬の賢さという言葉で変化を終わらせられないのである。
照ノ富士との大一番で、真っ向勝負で敗れた。新世代との旗手の台頭という大ニュースの陰で、長きに亘って盟主として君臨した大横綱の落日を見る結果でもあったわけだ。
差は1だ。まだ白鵬は2日勝てば優勝だ。そういう状況の中で、ここ数年幾度と無く愛憎劇を巻き起こしてきた稀勢の里に対峙する。張り手やカチ上げ、立ち合いの呼吸での出し抜き、あらゆる手を使ってきた。その度に白鵬には注文が入った。大きな批判を受けることになった。
更には、審判部批判問題が有った。気が付けば白鵬は、何をやっても悪意をもって全てを捉えられてしまう力士に成ってしまった。優勝回数の記録を更新しながらも。
だからこそ、今回の勝利はあくまでも白鵬の側に寄り添った人間しか支持できないものになってしまった。変化での勝利は、白鵬ファンだけのために捧げられるものだったのである。
白鵬は、稀勢の里から逃げた。
照ノ富士との一戦で、衰えを感じたのだろう。
勝てばそれでいいのか。
そう言われる要素を自ら作ってしまったのである。
もう白鵬の勝利は、100人居れば100人が支持できるそれではなくなってしまった。元々白鵬は、100人中100人から支持される力士であろうとし続けてきた。だからこそ、相撲があのような状況になった時に白鵬が相撲復興のアイコンたり得た訳だ。白鵬は、みんなの白鵬だったのだ。
みんなの白鵬で在り続けるには、みんなが納得する形で決着を付けなければならない。ここまでの事情を考慮しても、立合いの変化が一般的にどのように考えられているかを考慮しても今回の結果は「みんなが納得する形」からは程遠い。
恐らく今回の結果はまたしても白鵬を蝕むことになるだろう。様々な批判の中に、また批判される項目が加わってしまったからだ。今の白鵬は非常に擁護しづらい力士に成ってしまったのである。だからこそ稀勢の里との一番に於いては、「みんなが納得する形」を目指すべきだったのではないかと私は思う。
こういう状況だからこそ、本来の白鵬の素晴らしさを思い出すためにも、白鵬が白鵬の相撲を取り切って稀勢の里を破って欲しかった。今の白鵬を見るのは非常に辛く、批判という視点から早く逃れたかった。昨日の取組を手に汗を握りながら目撃し、結果が出ると同時に私は頭を抱えた。これは慣用句的な表現ではない。思い切り頭を抱えたのだ。
もう審判部批判について全面的に謝罪することでかつての姿を取り戻せるほど白鵬の2か月は単純ではなくなってしまった。それが何より悲しい。
みんなの白鵬から、分かる人には分かる白鵬へ。
昨日の変化は、その決定打だったのだ。
しかしそこには、大きな悲しみを伴っていた。
いいのか。
それでいいのか。
白鵬との愛憎は、引退まで続くのである。
◇お知らせ◇
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はじめまして、いつもブログを読ませて頂いています。
少数派かもしれませんが、管理人様の意見に同意です。
昨日から続いていたモヤモヤをわかりやすく文章にしていただいてすっきりしました。
これからもブログ読ませて頂きますね。
真剣勝負ってこういうこともあると思いますね。
いつみても面白い熱戦・・・・八百長です。
大相撲って観る側が注文つけすぎな気がしますね。
そもそも、これはいわゆる「立ち合い変化」ではないですよ。
前を見ずに無謀にツッコんでくる相手を見て、反射的にズラしただけ。あれだけで転がる稀勢の里が悪いと思います。
また、nihiljapkさんの過去の稀勢の里戦に対し、白鵬が卑怯な手を使ってでも勝ちに行ったという印象を与えていることに憤りを感じます。
白鵬こそが本当の勝負師。
冷静に見なきゃいけないのは、これが逆、つまり、優勝目前の日本人横綱VS冴えない成績の外国人大関・・・だったら横綱を悪く書かないだろうってことではないでしょうか。
熱戦後の期待と不安の大一番、残念を通り越して落胆。
稀勢の里の目をつぶって突進には、テレビ桟敷席で叫んでしまいました。
白鵬の取り口、仕方がないですね。瞬間に避けた、変化云々じゃなくて。反応抜群の横綱だから当然。
百パーセント、稀勢の里の取り口が招いた締まりのない大一番だったと。
照ノ富士が白鵬に勝利する日、賜杯を抱く日は年内に訪れるのを確信した今場所です。来年にも横綱昇進でしょうし。
心配なのは、白鵬が存在する大相撲界ということ。
横綱から親方へ、日本国籍を取得するのしないのはどうでもいい、親方となって指導者側となる白鵬に対し、大相撲界を良い方向へ引っ張って行くようには思えないのです。
取材陣との断裂、相撲の所作問題、大相撲を愛する側にとっては悲嘆にくれる事ばかりの大横綱。
清涼剤は、照ノ富士戦での座蒲団乱舞でした。
人種差別云々の白鵬に、そんなものは微塵も無いと満場で示した気持ちのいい一番だったと。
日本人横綱誕生よりも、白鵬という存在がもたらす今度の大相撲界、そこに明るい未来が見えないのですが。何かが崩れていくようで。
管理人さんお邪魔します。
初めてコメントさせていただきます。
マスコミの白鵬に関する記事の書き方は明らかにおかしいです。
特に「日刊スポーツ」が顕著ですね。
全ての物事がそうなんですが,マスコミの書き方1つで読み手の印象は大きく変わります。
批判的な書き方をすればそういう印象をみんなが持ってしまいます。
少しずつ相撲人気が戻りつつある中で,マイナス要素の何物でもありません。
もちろん,いいものはいい,悪いものは悪いで報道しなければならないのですが,現状は白鵬が何を言っても,何をやっても批判されます。
これでいいのか,本当に疑問です。
あと,白鵬の所作や言動を批判する前にそれを指導できない理事長や親方たちにはあまり批判がいかないのも不思議です。
まとまらない長拙文で失礼しました。
管理人さんは「アンフェアな白鵬vs正々堂々とぶつかっていった稀勢の里」ってイメージをつくりたいみたいですけど、あの相撲でアンフェアだったのは、むしろ稀勢の里のほうだったのではなかろうかと思います。