平塚と、高砂部屋と、朝弁慶。地域と相撲の絆を産んだ、高砂部屋の平塚合宿に足を運んでみた。前編。

8月30日、肌寒い朝だった。
小田急線から東海道線を乗り継ぎ、平塚に向かう。秋物のジャケットを羽織り、平塚総合公園を目指す私。
目的は、高砂部屋の夏合宿。夏になると合宿を行う相撲部屋は多くツイッターなどでも話題になるが、私の心を鷲掴みにしたのは、この合宿になんと22年の歴史が有るということだった。
後援会の方に話を聞くと、20年連続で同じ場所で合宿を行うのは前代未聞だという。相撲部屋と地域との関係性。平塚と相撲。そして、合宿という非日常。全てが興味深かった。
平塚駅からパラパラと雨が降る中、平塚総合公園まで2キロという距離に度肝を抜かれながらも歩いていく。ものの見事に道を間違え、通行人すらなかなか見当たらない中、かなり有り得ない遅刻をしてしまった。平塚総合公園に着いたころには、既にく9時を回っていた。
野球場と、ベルマーレのホームグラウンドと、土俵。総合公園というのは、そういうことなのか。案内の看板を見ながら、土俵を目指す私。
歓声と、怒号と、笑い声。
のどかな合宿がそこには有った。
着いた時にはたと思ったことが有った。そういえば私は、高砂部屋の力士を知らない。朝赤龍と、朝弁慶と、朝天舞と、あと・・・誰だ?
誰が、というのは正直それほど問題ではなかったのだが、力士達がきな粉餅になりながら稽古に明け暮れる。その光景だけで私は十分だった。後援会の方が用意していた、名鑑のコピーを手に取りながら顔と名前を一致させる作業に明け暮れていたのだが、驚くべきことを私は目の当たりにした。
観客の多くが、序二段や三段目の力士をほぼ全て知っているのだ。
まかりなりにもブログを4年運営している私よりも、平塚の地域住民の方が知っている。相撲ブームでこの日の観客も増えているのかと思いきや、どうやらそういう訳でもないらしい。そうでなければ中卒2年目の朝金井やちゃんこ番の大子錦という名前がそこここで出てくるはずもない。しかも、「大子さん」と呼ばれているではないか。もう訳が分からない。
パラパラと降っていた雨は、気が付けば本降りになっていた。稽古見学には適さない環境になりつつある中、人垣は厚さを増していた。ブームでの相撲ではなく、地に足の付いた相撲文化。平塚にとっての高砂部屋は、年に一度の日常なのである。
そんな中、一際大きな力士が現れた。
続く。
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