驚愕の連続の白鵬杯で見えた、大相撲の近未来。後編
白鵬杯は、驚きの連続だった。
スーパーボールすくいに輪投げ。
子供の相撲大会なのに、本場所並みの出店。
そして、交通費は大会が負担。
白鵬杯はただのわんぱく大相撲ではなく、子供に夢を与えるために大人が腐心し続ける大会だった。「夢を与えたい」という言葉を使うのは簡単だが、行動に移すことは勿論、それを体現することは本当に難しい。綺麗事だけでは片付けられない現実的な課題が山積する中、スポンサーを動かし、人を動かし、そして自らも動いた。
白鵬杯とは、大人が本気で子供に向き合う大会だったのである。
驚愕の連続の白鵬杯で見えた、大相撲の近未来。前編
さて、白鵬杯の素晴らしさを想いながらも土俵に目をやる。そして、少し退席してトーナメント表を確認する。すると、今後の大相撲を左右するであろう二つの事実が見えてきた。
柏。
鹿児島。
熊本。
大阪。
トーナメントの上位に来ている地域は、大体同じだ。小学校1年生の部も、6年生の部も、中学3年生の部も、その地域に大きな差は無い。強い地域は相変わらず強いのだ。なるほど、その努力はさすがである。
元々強豪校を要する富山や、相撲県というわけではない焼津から強いチームが排出されているというのは少し驚いたが、その程度しか変化が無かった。別の角度から見ると、かつての相撲王国である北海道や青森は、全盛期を思うと寂しい結果であったのである。
強い地域は強く、低迷している地域はそのままというのは寂しいことだが、マス席を全て埋めて2階席まで侵食したあの参加者の多さを見ると地域間の格差は埋め難いものだったのではないかと思う。
そして、次の問題が実に深刻なのだ。
そう。
モンゴル勢の活躍である。
日本人の参加者と比べると、モンゴル人力士は殆ど居ない。恐らく選抜された精鋭が来日してきているのではないかと思う。しかし、身体はまだ全然できていない。そして、相撲もあまり訓練されていない。
対する日本人力士達はトーナメント上位まで来ると身体も大きい。既に力士のような体つきになっている少年も多い。相撲っぷりを見ると、序二段や三段目の下位力士では勝てないのでは?と思うこともしばしばだった。
よく鍛えられているし、良い相撲を取っている。これが日本の相撲の歴史なのだ。ここまで相撲を続けていれば、中学生でもこういう質の相撲が取れる。
そういう日本人力士と、見た目ひよわなモンゴル人力士が勝負する。先手を取るのは大体日本人だ。相撲の馬力を見せる。どんどん前に出てくる。日本人ペースで勝負が運ぶ。
だが、モンゴル人力士は肝心なところで崩れない。密着されない程度の距離を上手く保てている。そこから粘り腰を見せて、土俵を割らない。攻めきれない日本人は、段々腰が伸びてくる。土俵を円に使おうとしても、勢いを失っているので思ったように展開できない。
残したモンゴル人はその隙を突く。
態勢を入れ替えることも有るし、足を掛けることも有る。やせっぽっちの体のどこにそのような力が有るのか?と感じるような勝負強さを見せて、日本人力士を倒すのである。
少ない人数なのだが、モンゴル人はトーナメントの上位には必ず来ていた。身体も細く、相撲も全く洗練されていない中で彼らはそういう成績を残していた。恐らく日本人力士より遥かに伸びしろを残していることだろう。
今まで見続けてきた悔しい現実は、白鵬杯ですら同じだった。彼らが成長した時、更にその差は開くことだろう。少なくともその勢力図が劇的に変化することは、考え難いことである。
例えば大相撲人気が波及し、今年から子供たちがこぞって相撲を始めたとしても、彼らが大相撲に姿を現し番付上位で活躍するのは15年後くらいのことだ。つまり、向こう15年は相撲の地域的な勢力図に大きな変化は無いことが容易に想像できるわけだ。
恐らくモンゴル時代はこれからも続くことになる。子供の頃からそういう強さを刷り込まれてしまうと、気持ちの面で闘えなくなる。信じられないという顔をしている子は居ても、モンゴル人力士に敗れて悔しさを表に出す子が少なかったことは残念だった。
さすがに更に15年もこうした状況が続いたとしたら、大相撲の人気は一体どうなってしまうのか。素晴らしい彼らが悪いわけではない。だが、同じ国に生を受けた者がこうも惨敗を繰り返す競技を、一体誰が好んで見るというのだろうか。
だからこそ、高いレベルでの切磋琢磨が必要なのだ。
今の土俵の充実もさることながら、15年先の土俵の充実を考えるとここで手を打たねばならない。白鵬杯はそういう現実に目を向けさせる機会だったのである。
相撲協会よ、今こそ改革を。
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