隆の山と幕下相撲。

多忙につきBlogの更新が滞っている間に
気が付くと既に9月場所が終わっていた。
出来る限り幕下を中心に結果について
目を通していたものの、
2か月に一度の楽しみを殆ど享受できなかったというのは
何ともさびしいところである。
しかしBSが終ろうともネット中継というのは
便利なもので、リアルタイムで時間さえあれば
その内容をチェックできるのである。
ルーラで全ての町に行けるようになった時の
ドラクエさながら、何とも便利な世の中になったものである。
さて、忙しい中で相撲に関するニュースも飛び込んでくる。
有森の旦那以来の「ガブ」こと琴奨菊の大関昇進は
日本人を取り巻く環境的には一つの壁を打ち壊す
素晴らしいトピックであった。
しかし、宇宙唯一の幕下相撲評論家を
マッチポンプ的に自称する私としては
やはり捨てておけないニュースがあった。
そう。
隆の山である。


今場所の序盤は彼の話題で持ちきりだったと言っても
過言ではない。
隆の山を見たことが無い人からすれば、
初見で認識した時が一番衝撃を受けることになるのは
誰の目にも明らかである。
チェコ人。
100キロにも満たない痩身。
そして、予測不能の取り口。
いわゆる相撲のフレームに慣れきった視聴者からすれば、
その枠内に一切収まらない存在たる隆の山の存在は
異色中の異色である。
こうした「フレーム内に収まらない相撲萌え」という
ジャンルを提唱して止まない幕下相撲評論家からすれば
隆の山が幕内で認識され、そして
そうした萌えを共有するという行為が為されたことに対して
大きな意義を覚える場所だったと言える。
何故なら、再三話に出ているのだが、
結局「フレームに収まらない相撲」というのは
とどのつまり未完成ということであり、
未完成ということはそれを克服しないことには
上では通用しないということである。
未完成たる部分というのは結局のところ
致命的な弱点であり、弱点が有っても通用する
臨界点というのが幕下ということなのだ。
故に幕下とは未完成と未完成のぶつかり合いであり、
予測不能同士が対決することによって
更なる予測不能を生むという構造を成しているため、
十両や幕内とは異質の取組を楽しめるのである。
だからこそ隆の山の未完成たる部分、
つまりは幕内で取るには足りない部分こそが
彼を観る上での萌えなのであり、
致命的な弱点を抱えながら幕内で取ってしまっている
という異常性こそが今までの相撲には無かった
事態と言えるわけだ。
隆の山に萌えを覚えるという行為が
共有されたという歴史的な事実。
それは、1億人が幕下相撲に対して
理解を示すかもしれない、いや、既に理解されている
とも言えるわけである。
だからこそ、隆の山に興味を持った人に言いたいのは、
幕下には120通りの隆の山が存在する、
ということなのだ。
残念なのは、幕下相撲の伝道師たる
隆の山が結局幕内では力及ばず、
十両に降格になってしまったということであり、
彼はいつまでもそのままで、
致命的な弱点を長所で補うというスタイルを貫いてほしいと
願って止まないのである。

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