高砂部屋と、平塚。夏合宿の持つ意味とは?前編
そういえば、去年も雨だった。
夏の終わりは台風が多いからなのか、それとも私が雨男だからなのか、それは分からない。
ただ、泣き出しそうな空の下、私は平塚の地に足を運んでいた。この週末は平塚で高砂部屋の合宿が予定されてるのだ。
昨年道を間違えて彷徨い続けた平塚の街だが、今回はバスで行くので迷うこともない。あの大変な思いをしたのは一体何だったかというほどあっけなく平塚総合公園に辿り着く。
入口のマップで土俵の在り処を調べて、そこに向かって歩を進めると黒山の人だかりが有った。去年はこれほどではなかったから、まずそこに驚いた。とにかく人が多いのである。
基本的にはシニア世代で構成されているのだが、30〜40代も多い。さらには公園内で練習中の野球部の少年達も、練習終了後にこの光景を観に集団で駆けつけてきた。
そして、土俵上も変化を見せていた。
去年は十両昇進に挑む立場だった朝弁慶は、1年の歳月を経てすっかり十両力士の佇まいであった。余裕と貫禄。地位は人を作るのか、自信が人を作るのか。十両の地位が風前の灯火になる中で、底力を見せた。そして、調子が良ければ十両でも勝ち越せる。彼はこの1年で、大きな自信を掴んだのである。
そして、新弟子の顔ぶれもバラエティ豊かだ。
朝玉木。
そして、石橋。
大卒も居れば中卒も居る。そして、有望な彼らが番付を駆け上がることで先輩力士も刺激される。土俵上では昨年に勝る取組が行われていた。更には、彼らを強くする為に親方からの叱咤激励が飛んでいた。この世界での叱咤激励は大抵が叱咤なのだが、高砂部屋のそれは激励も多分に含まれているので受け止めやすい。
22年。
平塚で高砂部屋が夏合宿を行うようになって、22年である。これは合宿としては前代未聞の期間なのだという。親方の出身地というわけではない。
当初は若松部屋だった。それが高砂部屋になり、朝青龍が入門し、高砂部屋は隆盛を極めた。だが朝青龍は自壊し、様々な問題を起こした。批判も受けた。出場停止も有った。そして最終的に引退に追い込まれることになった。朝青龍の浮沈は、高砂部屋の浮沈はと言っても過言ではなかった。引退後、高砂部屋はどん底を経験した。
そういう一切合切を、平塚は見届けているのである。
隆盛も見届けた。
そして、どん底も見届けた。
2016年。
高砂部屋は新たな関取と共に帰ってきた。
平塚の観客は確かに増えていた。
だが、観客の様子は去年と変わらなかった。
そう。
平塚にとって高砂部屋は文化なのである。
夏になれば高砂部屋が来る。
そして、平塚はそれを迎える。
この日の雨が去年と同じだったように、高砂部屋も平塚も変わらなかったのだ。
平塚にとって、高砂部屋は特別だ。
この2年で、その意味がよく分かった。
ただ、私は一つの疑問を感じていた。
続く。
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玉木はデビュー時は朝玉木でしたが、今は朝とって玉木だったと思います。
また朝がついたんですか?