稀勢の里を観る喜びと、苦しみ。今日の落胆さえも、実は愛おしい。

信じながら、信じずに稀勢の里を見届ける。
昨日私はそう書いた。
それは私の本音だった。
この数年観ながらも稀勢の里を心の底から信じ抜けるほど私は純粋ではない。それが出来る方は素晴らしい。だが、恐らくそういう方は報われない人生を送っているのではないかと思う。
そして、完全に信じないと見切りを付けられるほど、稀勢の里は単純な力士ではない。完璧な相撲で白鵬や日馬富士を倒し、翌日に無残な相撲を取る。もしくは、無残な相撲で優勝争いから脱落した後で、優勝力士を叩きのめす。
放っておくには魅力的すぎる。
だが、一心不乱に応援するには辛すぎる。
稀勢の里とは、そういう力士だ。
白鵬と鶴竜、そして日馬富士を倒した時、信じる方に私は触れた。だが、辛すぎる過去の取組がそういう自分にブレーキを掛けた。人を信用しないということほど後ろめたいことは無いと私は思う。だが、後ろめたさよりも裏切られることの方が、稀勢の里に関しては辛いのである。
後ろめたさと予防線。
二つの相反する想いのせめぎ合い。
勝ったらこの上なく嬉しい。だが、信じ抜けなければ至上の喜びは味わえない。負けたらまたあの辛さを味わう。だが、完全に興味を失ったら喜ぶ権利を失ってしまう。
信じるのか。
信じないのか。
そこで私が出した結論は、信じながら信じずに見届けるということだった。恐らくそうするしかなかったと思う。それが、この数年稀勢の里を目撃し続けてきた私にとって自然なことだったと思う。
そして、また同じことが繰り返された。
仕事が終わった後でツイッターで結果を知り、浮ついた気分は一気に冷めた。今場所の見どころが潰えたのだ。何より、喜びを味わうことは出来なかった。むしろ期待を抱かせた分だけ、裏切りの反動は本当に堪えた。
確かに私は稀勢の里を信じきれなかった。それでも、私は大いに落胆した。少なくとも今日のニュースを観るのはごめんだった。負けた相撲の内容など、もはやどうでも良かった。もし稀勢の里に一点の曇りもなく期待していたとしたら、どれだけダメージを受けていたのだろうか。そう考えると恐ろしかった。
稀勢の里は私の家族でも友人でも、知人でも何でもない。その接点は、私がNHKで17時40分に一方的に観るだけのものだ。それだけのことだ。
一体何故、それだけの関係の力士をここまで力を入れて観てしまうのか。ただ相撲を取っているだけではないか。勝った負けたの中に、何故そこまで思い入れを抱くのか。
報われたければ、そういう力士を追い掛ければ良い。観ていて楽しい力士は、他にも多く存在している。そういうところに救いを求めれば良いと思う。
だが、それでは満たされないのである。
一度思い入れを抱いたとしたら、もう稀勢の里でなければダメなのだ。誰かを応援することは、楽しいことだ。一方でそれと同じくらい、辛いことも待ち受けている。
ただ、この見方の怖いところは肩入れし過ぎた時のことだ。報われることを求めないつもりが、どこかで報いを求めてしまう。求めないと意識すればするほど、報いを渇望する。その分だけ、裏切られた時の辛さは身に堪える。
楽しいはずの相撲観戦は、いつしか辛い方が先立つようになった。稀勢の里が土俵に立つと、誰が相手でも負ける未来予想図しか浮かばない。取組が終わると勝てば嬉しいが、勝っても負けても体じゅうに疲労が残る。取組前は心臓が止まりそうになる。
私は「相撲ロス」とは無縁だ。
場所中は体が持たない。
場所が終わると、安心する。
これが「相撲疲れ」である。
報われないことは辛いことだ。だが、何よりも辛いことはそういう対象を失うことだ。私は吐合を失った時に、それに気づかされた。
一人の力士の勝ち負けに喜び、悲しめることは実は幸せなことだと思う。そういう対象が居なくなった時、私は恐らく過去の何かと比較してケチを付けるような、鼻持ちならない相撲ファンになりそうで怖いのである。
そう。
今日の落胆さえも、実は愛おしいことなのである。
今日の相撲は辛い。
結局ニュースを私は観ていない。
稀勢の里が居る限り、楽しみも苦しみも続く。
そうするしかないし、そうせざるを得ない。
距離を取りながらも、どこかで期待する。
期待と無関心の狭間のせめぎ合い。
稀勢の里の楽しみ方は、それでいいと思うのだ。
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稀勢の里を観る喜びと、苦しみ。今日の落胆さえも、実は愛おしい。” に対して1件のコメントがあります。

  1. yumiiku より:

    これが 稀勢の里ということなのでしょうか

  2. GIANTS より:

    全ての稀勢の里ファンの気持ちを代弁していただいたような素晴らしいコラムだと思います。
    私も全く同じ気持ちです。
    私は、初代貴ノ花の大ファンでした。まだ小学生ですね。
    輪島や北の湖に歯が立たず、いつも悔しい思いをしていました。
    貴ノ花引退後はそれほど気持ちを入れる力士が現れず、千代の富士や息子の貴乃花のときも観てはいましたけど「ファン」とは言い切れませんでした。
    ところが30年以上の時を経て、性根を入れて応援する力士が現れ、それが稀勢の里でした。
    貴ノ花とは全く違うタイプ、というより、あれほど憎らしかった北の湖に近いですよね。少なくとも見かけは。
    多分、久し振りに強い日本人が出てきた、近い将来間違いなく横綱になる、横綱になるだけでなく強い横綱になることを確信してました。
    白鵬の連勝を止めたときは随分興奮したものです。
    ただ、現実はご承知の通り。
    把瑠都に負けたとき等「なぜなんだ」と叫んだのは数え切れませんね。
    でも、やっぱり稀勢の里を見捨てることはできません。
    これからも応援します。半信半疑で!!
    それにしても昨日の理事長のコメントは秀逸でしたね(笑)

  3. 渡辺 栄 より:

    稀勢の里の性格とかそうゆう問題ではないと思います。ジャッジが適正に行われているかが肝心です。昨日の栃ノ心戦は、栃ノ心のまわしがしっかり締めてなくて緩んだため、稀勢の里上手に力が入らなくて、下手片手で勝負せざるを得なくなったためと思います。栃ノ里が稀勢の里相手によくやる手みたいです。別の場所でもまわしがずるずる緩んでいって裸になる寸前まで行って栃ノ心が勝っています。審判と親方にその場で口頭注意を受けたが沙汰なしで続けているようです。行事も止めて締め直しさせないし、稀勢の里や稀勢の里の親方も何も言わないし、反則がまかり通る世界みたいで、憤りを覚えます。大部屋に属するか、野球のように親方が猛然と抗議するようでないと直らないと思います。親方と稀勢の里の関係も上手くいってないのですかね。

  4. yumiiku より:

    nihiljapkさんの お気持ちわかりすぎるほどわかります。
    あふれる期待、もれる失望、
    それが稀勢の里の現実なんですな。。。本当に惜しい逸材

  5. michiyo より:

    お気持ちよくわかります。
    喜びも辛さも全部ひっくるめて、稀勢の里の魅力なのでしょう。
    応援せずにはいられません。
    じつは稀勢の里とともに照ノ富士もひそかに応援しています。
    こちらは今年は辛いことばかりでした。負け越しと8勝の繰り返しで。
    でもいつか復活することを願って、稀勢の里の横綱への期待もこめて
    あきらめずに応援したいと思います。

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