浪曲と相撲。「古臭い日本文化」という無意識のレッテルをどう乗り越えるか。
先日、浪曲を聴きに新橋まで足を運んだ。
ひょんなことからという言葉で表すだけでは足りないので説明すると、大相撲春場所のBSでの中継にゲスト出演されていた春野恵子さん、30歳以上の方は電波少年に出演していた頃の「ケイコ先生」という名前で思い出すのではないかと思うが、彼女が今浪曲師として活動されているのだという。更には、その中には相撲を題材としたものも有るそうなのだ。
私には浪曲と落語の違いも分からない。浪曲と言われて分かる唯一の知識が、広沢虎造という浪曲師がかつて居たこと。そして元ヤクルトスワローズの広沢選手が彼に因んで「トラ」というニックネームで呼ばれていたこと。ただそれだけである。
ツイッターで個人的に交流していたこともあり、普段は関西地方を拠点に活動されている春野さんが東京に来られるという偶然も重なり、相撲という繋がりだけではあるのだが全くの未知の世界に触れてみようと考えたわけである。
前もって知識を付けてから行こうかとも考えたが、白状すると興味が無いので検索することすら面倒臭い。初めての経験なので何も知らないまま行った方が印象が強烈になる、と自分に言い訳をして、小さな手間を怠った。
だが、結果的にその判断は正しかった。
浪曲は全てが新鮮で、素晴らしく楽しかったのである。
ある一つの物語を歌と語りで表現するのが浪曲という解釈をしているのだが、まずこの物語が大変面白いのである。浪曲のろの字も知らない私が気が付くと物語に引き込まれ、ひとつの言葉に心動かされていた。手を叩き、笑っていた。
浪曲は明治時代から始まったものだという。150年もの歴史の中で面白い演目を受け継いでいるのだから、それは面白いはずだ。つまらなければ、そんなものは淘汰されてしまうことだろう。
3つの演目を聴きながら、楽しみながら、私はこの面白い演目の数々に触れてみたいと感じた。だが、もし動画やCDなどで触れてしまったとしたら、生で鑑賞したときの感動は薄らいでしまう。知識を付けた状態で鑑賞する楽しみも有るとは思うが、今日のこの感動はもう味わえない。
だとしたら、知るということは果たして良いことなのだろうか。
そんなことに想いを馳せるほど、この2時間で私は浪曲に魅せられていたのである。
これほど楽しい浪曲の世界が有りながら、36年の中で私はその存在に興味を抱く事さえなかった。一体それは何故なのだろう。大江戸線に揺られながら、私はふと考えた。
そして気付いた。ひょっとしたら私は、日本の古くから受け継がれてきた文化を無意識のうちに排除してきたのかもしれない。
誇るべき文化や、楽しみ方を心得た文化、近い友人や有名人が喧伝する文化は素直に受け入れようという気持ちが働くので、よく分からないことや楽しめない要素が出てきてもつまらないという評価を下さずに済む。そして楽しい要素が出てくると、フィルターを掛けずに楽しいと評価することになる。
しかし、興味の無い文化、とりわけ日本文化ということになると、理解が難しい独自の臭い、言い回しや表現、服装などを古臭く感じてしまうので、そもそも入り口にすら入ろうとしないのである。文化独自の臭いを楽しめないハードルとして認識し、興味を持つ持たない以前の段階で排除する。古い文化というだけでイメージだけでハードルが出来てしまう。無意識にレッテルを張ってしまうのである。
それは、日本人だからこそ感じてしまうことなのである。日本人だからこそ自国の文化的背景を理解すればより楽しめるのに、日本人だからこそフラットに見られない。日本人だからこそ、日本の継承された文化を楽しめないということだから、皮肉と言わざるを得ない。
そしてそれは、相撲にも言えることだろう。
相撲は独特の世界だ。太った力士が丁髷を結って、全裸に近い出で立ちでフンドシを締めて、円の中から出すか地面に身体を付けさせたら勝ちという、独自の臭いが強烈すぎるほど強烈な日本文化である。
外国人であれば、それは異文化として認識出来るだろう。年齢層が上であれば、楽しみ方を心得ているので独自の臭いはハードルにはならないだろう。子供であれば、独自の臭いにフィルターを掛けずに楽しいことを楽しいと認識できるだろう。
古臭い日本文化というレッテル。
独自の臭いが障壁として立ちはだかる。
これらをどう解消すればよいのだろうか。
稽古総見の観客は、多くが中高齢者だった。ニュースでは若者も映し出していたが、あれは見栄えがするからこそ、報道関係者が彼らをピックアップしていたということだ。
日本人だからこそ感じるレッテルを乗り越えるために、若者にも訴えられるように、日本文化は動き始めている。歌舞伎や相撲がニコニコ超会議で新たな切り口を提示しているのは、そういうことなのだろう。「クールジャパン」という言葉でレッテルを逆手に取ろうとしているのもそういうことだ。あれは外国人に日本文化を広めながら日本人にも日本文化を再評価させる側面もあるのだ。
浪曲もそうした試みを行っていることを私は演目から感じた。
京山幸枝若さんは「丑三つ時」のような言い回しではなく、敢えて午前~時という言い方を取り入れたり、現代的な話言葉を織り交ぜながらわかりやすさを追及しているのだ。更に彼の演目は他の2人と比べると独特の節で語り歌いながらも言葉が聞きとりやすいように構成されている。ライムスターがヒップホップで採り入れているのと同じ工夫を、浪曲が行っていることに私は驚いた。
文化が生き残りを賭けて、変わるべきところと変わってはいけないところの取捨選択を迫られている。
だが文化の神髄は、変わらずに継承されてきたところにこそ有ると私は思う。
そう。
私達も、無意識のレッテルを排除せねばならないのだ。
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