大卒力士を超えろ、御嶽海。

御嶽海、白鵬撃破。
24歳の関脇力士、それもこの歳で4場所の三役経験の有る若手力士が会心の相撲でここまで全勝の白鵬を下したのである。これは快挙だ。
この勝利に意味が有るのは、白鵬を下したこと。これに尽きる。稀勢の里や鶴竜に勝つことも意味が有る。だが、白鵬はやはり特別なのだ。力が落ちたのではないかという見方も有るが、相撲界では生きる伝説だ。レジェンドなどという言葉が最近は闊歩しているが、本来であれば白鵬のような力士を讃える為に使われるべき言葉であると私は思う。
ただの白鵬ではなく、ここまで全勝の白鵬だったということ。張り手やカチ上げを要所で決めて、序盤から付け入る隙のなかった大横綱に、エンジン全開の終盤戦で勝つことは難しい。困難な状況での殊勲の星だということだ。
素晴らしい勝利だ。
今の私には御嶽海を讃えることしか出来ない。
はずなのだが、どうも筆が進まない。
素晴らしい勝利を目の当たりにすると、全身の血が逆流するような、鳥肌が立つような、沸き立つ何かが駆け抜けるのだが、冷静な自分が居る。これだけのことが起きたのに、ちょっと異常なことだ。一体何故なのか。
答えはただ一つ。御嶽海が、いわゆる大卒力士だからだ。過去に壁に跳ね返されてきた多くの力士達が、御嶽海と重なるからである。
これは御嶽海が悪いわけではない。期待をするのは、ファンの勝手なのだ。その勝手をこれまで多くの大卒力士達に託してきた。勝手なことだが、この勝手こそが楽しいのである。この勝手な行為が、今までなかなか叶わなかった。叶ったとしても、期待よりもそのスケールはささやかなものになってしまった。
そしてその叶わない歴史が生んだのが、大相撲に対する閉塞感である。閉塞感は更なる勝手を生み出し、失望は更に大きな閉塞感を生み出した。行き着いたのは、期待しないという結論だった。
その後、期待は未知の何かを持つ力士に託されたように思う。過去の何にも当てはまらない力士を期待するように流れていったからこそ、逸ノ城に対する期待はこれまでとは違うものだった。
大卒力士は、これだけ多くの才能を送り込みながらも、ここまで横綱が1人、大関は4人。今年41歳になる琴光喜以降は、大卒力士が約20世代居ながら最高位は関脇だ。在位場所を考えると、恐らく妙義龍が最高の力士なのだ。なお、ここでいう大卒力士には中退は含まれていない。
そういう事実を積み重ねた結果が、今日の反応である。思えば私は過剰に辛辣な評価を下していたのではないだろうか。琴奨菊を相手に変化で勝利した時も、琴奨菊の変化に対する弱さではなく、琴奨菊と撃ち合って倒す決断をしなかったことを志の低さとして捉えてしまった。
そして、あるイベントで御嶽海が「意識する力士は誰か」という問いに対して「大卒力士」と回答した時も、同じように志が低いと感じてしまった。稽古が嫌いという話に対しても似たような印象を受けてしまった。
当然、志が低いことは無いだろう。志が低ければ、白鵬を相手に会心の相撲で勝利することは出来ないだろう。そして、ここまでのスピード出世をする事もなかっただろう。そして稽古が好きなのは、北はり磨くらいだ。冷静に考えれば分かることだが、ネガティブに捉えてしまう。
だが、まだ私は自分の勝手を御嶽海には託せない。期待が歴史を上回るには、歴史を壊すだけの活躍が必要なのかもしれない。白鵬を倒し、上位で可能性を見せ続けるこなのだろう。まだ、これからなのだ。
大卒力士を超えろ、御嶽海。
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