WBC出場に対する批判と、相撲界批判。後編
WBC参加プロセス。
相撲界の諸々の不祥事。
共に筋道が通っていないと思われても仕方が無い
事象について、不満はある。
それでも私の中でWBC参加にしても
相撲に対する認識についても変わらない状態である。
道理を果たしていない物事に対して
それでも肩入れしてしまう心理。
これが一体なぜなのか検証してみると、
一つの結論に到達した。
つまり、観たいのである。
色々と問題が有ることは判っている。
そんなことは重々承知しているが、
筋が通らないことはさておき、私は如何なる結果であろうとも
試合を見届けたいのである。
様々な幸運にも助けられての連覇であることは間違いない。
そして、今回も運を味方に付けなければ
期待している成果が挙げられないということは重々承知している。
そして、メンバー構成や他国との比較、監督選考の難解さなどを
含めて考慮すると、ハードルは上がっているにもかかわらず
ミッションを果たすことが極めて難しいことは誰の目にも明らかだ。
それでも、普段敵味方に別れているライバル達が
日本の勝利のために集結して
意地やプライドをかなぐり捨てて闘うことが、
どれだけの興奮や落胆、そしてそれらを通り越した
喜びを提供してくれたか?ということは
前2回のWBCを観た誰もが分かってくれることではないだろうか。
相撲についても同じなのだ。
八百長と言われても、薬物問題が有っても、
組織のゴタゴタが有っても、
結局相撲を観ればこの上なく楽しいし、
その楽しみというのは相撲以外では提供できない。
スポーツではなく、神事だからこそ提供出来る価値。
その独特の雰囲気や精神性と言うのは代えが利かない。
勝ち負けだけを観たいのであれば
もっとエキサイティングものはスポーツチャンネルを契約すれば
いくらでも目撃できる。
だが、私が相撲に求めるものはそういうことではない。
相撲でなければ達成できないレベルの楽しみなのである。
だからこそ、根本を揺るがしかねない事態が発生しても
相撲そのものを否定する気にはなれないのである。
テレビや芸能などの娯楽が広い層を取り込もうとして
逆にサービスの品質を落とし、そして本質を見失う中で
代えが利かない価値を提供できる存在として、
両者は貴重なのだ。
こうした見方が根本的な問題解決を妨げる要因となっていることは
重々承知している。
だが、私はただ観たいのである。
それが出来ること喜びを、もう一度考えてから
是非について考えてみても遅くはない。
そう思うのである。