モンゴル人横綱対決への不満は、稀勢の里戦での妥協無き姿と正反対の予定調和に依るものである。見せてくれ、凄い相撲を。

白鵬が稀勢の里を破り、優勝が鶴竜と白鵬に絞られた。
ここ最近の白鵬の土俵態度に困惑し、怒りすら覚えた私は
彼の原点たる相撲を取り戻してほしいとの想いから
そのスタイル目指す稀勢の里に素晴らしさを見せてほしいと切望していた。
だが、白鵬は強かった。
そして、稀勢の里は及ばなかった。
昨日の結果で分かったのは、そういうシンプルなことだった。
ひょっとしたら、もう白鵬は後戻りできないかもしれない。
この相撲を取る限り、批判は避けられない。
優勝を重ねながらも、常にどこかで物議を醸し、
心の底から応援し切れない。
そういう力士になっていくことが悲しかった。
近い将来の相撲界に暗い影を落とすことを感じ、
陰鬱な気分になる中、今場所のことを思うと
幕内に対して興味が薄らいでいく自分が居ることを悟った。
鶴竜と白鵬の優勝争いはまだ残っている。
そして、横綱大関、更には横綱同士の対戦も目白押しだ。
終盤になるほど観客が増えるのは魅力的な取組が多いからなのだが、
考えてみると最近の私は終盤になると興味を失うことが多かった。
それには大きな理由が有る。
横綱同士の対戦が、どうも面白くないのだ。
断っておくが、私は彼らがモンゴル人だから面白くない訳ではない。
そして、モンゴル人と日本人という対立構図が無いからでもない。
相撲から一番離れていた時ですら、朝青龍と白鵬の対戦には手に汗を握り、
テレビの前で釘付けになっていた私だ。
刺激的な取組であれば、人種など関係無い。
白鵬と日馬富士、そして鶴竜の取組は家族同士で相撲を取っているような、
どこか居心地の悪い、ぎこちない感じになる。
現役力士のトップ3の対戦なのに、印象に残らない。
稀勢の里が相手であれば、首がもげるようなカチ上げや張り差しをするのに、
絶対に捕まえられないような高速の立ち合いを見せるのに、
劣勢であっても土俵際の綱渡りで勝ちを手繰り寄せるのに、
こういう凄味の有る攻防が無い。
ごくあっさり、モンゴル人同士のハッピーエンドに向かって
粛々と取組が進められていく様子に、完全に置き去りにされたような印象を抱くので
酷い時は取組を観ることすら無い有様だ。
ちなみに白鵬はモンゴル人力士が優勝する際は、必ず優勝力士に負けている。
あれほど勝負に拘り、勝利に対して妥協の無い力士が、である。
モンゴル人同士の優勝争いで、波乱は無い。
概ね予想通りの結果に落ち着く。
この予定調和こそ、何よりも退屈なのだ。
私が相撲に期待しているのは、既存の相撲界のフレームを破壊することだ。
だからこそ、行儀は悪いかもしれないが横綱相手にカチ上げを見舞った
大砂嵐には心躍ったし、変化で連勝した逸ノ城に畏怖した。
新時代の扉を開く者。
そして守る者が居れば、その対決は刺激的になる。
だが、相撲以前に彼らはモンゴル人という意味で仲間だ。
そうした意識が邪魔をするのかもしれない。そういえば、
先日元付け人の輝と対戦した若の里も「もうやりたくない」と口にしていた。
普通に考えれば仕方が無いことなのだろう。
とは言っても、大相撲は興行である。
私の中では3横綱の対戦よりも、栃煌山と豪栄道や
千代大龍と常幸龍、稀勢の里と琴奨菊の対戦の方が遥かに面白い。
彼らは何よりも勝ちに貪欲になり、互いが互いを上回るために八方手を尽し、
時には感情を剥き出しにして闘う。
そういうものが、勝負の醍醐味なのだと思う。
予定調和の結末など、何も面白くはない。
ましてや遠慮などしていては、どうにもならない。
難しい事情が有ることは分かる。
だが、そうした全てを排して目の前の敵を蹴散らすために邁進してほしい。
私はただ、素晴らしい相撲が見たい。
それだけなのだ。
モンゴル人トップ3力士による、仁義なき戦いが実現すれば
稀勢の里を超える黄金カードになる。
そうしたものを見せられるようになった時、
日本人横綱への期待は自然と無くなると私は思うのだ。
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