琴奨菊と幕下相撲。
今場所の話題をさらった2力士として
私が勝手に思っているのが、散々当Blogで
話題にしているチェコ人力士隆の山と
琴奨菊である。
永らく日本人力士の奮起が期待される中で、
朝青龍や白鵬、琴欧州や日馬富士などといった
大相撲の歴史に於いても屈指の猛者を相手にしながら
その難しさについては誰も言及せず、
小錦に対峙した時の千代の富士程度の扱いしか
受けないことに筆舌に難い不条理さを感じ続けた
そんな一相撲ファンとしてはそんな歴史的
名力士達を向こうに回して確かな実力を身に付けたことに
大変感慨深い思いなのである。
そう。
琴奨菊や稀勢の里の奮起を促す親方陣は
所詮逆鉾や板井と共にぬるい相撲界で
星を売り買いすることによって延命し、
バブル期にタニマチから金をせしめた連中に過ぎない。
結局彼らは生まれた時代が良かっただけなのだ。
そんな訳で辛い時代にデビューし、
リスクに合わない重責と激励を伴わない
叱咤だけを受け続けてきた彼らが遂に
結果を残したということの重みは
我々が思った以上に大きいのだ。
さて、そんな訳で琴奨菊。
彼の成し得た偉業について礼賛するだけの
日記を書くことも一興なのだが、
何せこのBlogは幕下相撲を扱うものである。
もやもやさまぁ~ずにはメジャーな町でも
メジャースポットではなくあくまでも
もやっとしている場所に行くことを一つの
アイデンティティをしているように、
当Blogもまた、幕下に対する理解を深め、
そして新たな価値観を提供することを目的としている。
そこで、私はそんな琴奨菊の若手時代の頃の話に
フォーカスして語りたいと思う。
つまりは、琴奨菊の幕下時代である。
一流力士たる彼は、一体どのような
幕下時代を過ごしたのだろうか?
大相撲リファレンスを覗いてみると、以下の結果が判明した。
2002年(平成14年)
東 幕下 #46 6–1
2003年(平成15年)
東 幕下 #20 3–4
東 幕下 #30 4–3
西 幕下 #24 4–3
東 幕下 #19 5–2
西 幕下 #10 3–4
西 幕下 #17 3–4
2004年(平成16年)
東 幕下 #22 6–1
西 幕下 #6 4–3
西 幕下 #5 5–2
ちなみにこの期間、デビューして1年から3年にすぎない。
つまり、19~21歳の頃に既に幕下で
十分に通用するだけの実力を誇っているということが
何よりも琴奨菊の非凡さを語っているといっても
過言ではない。
だが、そんな非凡な彼と言えど、約2年余りの
幕下生活の中で3度の負け越しを経ており、
その地位と言うのが20枚目から10枚目という
地位なのである。
私はかつて、幕下を様々なバックボーンを持つ
不完全な者達が不完全な相撲で対決する場であると
評したことがあるが、つまりこの頃の琴奨菊は
まだ幕下で圧倒する立場ではなかった。
つまり、琴奨菊と言えども、高校時代のスタイルに
限界を感じる地位と言うのが幕下で有り、
そういうエリート達の鼻を織るのが
吐合のような諸先輩なのである。
こうした試練を乗り越えることにより、
彼らは試練を乗り越えるプロセスを経験し、
普通の壁では居れないだけのメンタルと
技術を身に付けるのだ。
それは琴奨菊と言えど例外ではない。
むしろ、学生相撲出身のエリートよりも
自分の能力よりも1ランク上の世界で
チャレンジすることに慣れられるということは
長い目で見れば幸せなことなのだろう。
琴奨菊を見て、スターにとっても工夫や苦労を
必要とするチャンスこそが力士を大きくするということを
再認識させられた。
偉いのは、挫折経験なのである。