お帰りなさい、怪物:澤井豪太郎。
豪栄道が、初優勝を決めた。
14連勝。
文句の付けようの無い、素晴らしい優勝だった。
関脇時代から苦労を重ねて大関に昇進し、安住の地を見つけたかと思えば更なる苦難の日々が待っていた。誰が2年あまりの大関在位で4度のカド番を予想しただろうか。そして、誰が関脇時代よりも勝率が大幅に低下すると予想しただろうか。
スランプに陥ったと最初は解釈していた。だが、2年も変わらなければ実力と判断せざるを得ない。去来するのは不甲斐ないという怒りでもなくなんとかしてほしいという同情でもなく、
無関心でもなかった。
一番大きかったのは困惑だったが、同情に行き着く前の心配や不安という感情も多く占めていたように思う。感情をぶちまけるには成績が振るわず、激励するには様子がおかしい。何か腫れ物を見るような、どうすれば良いか分からないというのが一番しっくり来るのかもしれない。
それ故に大関昇進以降の豪栄道というのは、非常に語りにくい存在だったように思う。だからこの優勝については、簡単な捉え方がしづらいのである。
カタルシスを得るには怒りや同情が足りない。日本出身力士というドラマはもう琴奨菊が完結させている。弱さを克服したストーリーにしては、短期間で劇的に変化し過ぎている。
だから、豪栄道祭は確かにめでたいのだが、感情と状況が整理できていないので、まだどうすれば良いか分からないのである。
持たざる者が持つ者を倒すストーリーでもない。大怪我を乗り越えてきたような、明確なマイナスを乗り越えたストーリーでもない。そして、若手の台頭やベテランの狂い咲きという、年齢的な要素が有る訳でもない。
苦労してきた豪栄道を、その苦労の目線から思い切り讃える記事を書こうと試みたが、豪栄道はそんな存在ではなかった。大関昇進以降の苦労は、豪栄道を難しい存在にしていたのだ。
だが、元々の豪栄道、いや、澤井豪太郎は、無限の可能性を感じさせる存在だった。高校3年生の頃に全日本選手権で3位入賞した、文句無しの逸材だった。
当ブログの原点は、実はこの全日本選手権である。
高校横綱の澤井は、学生横綱の吐合を2度に亘って破った。2度目の取組の前に吐合は「澤井君は強いです。それは認めます。」とコメントした後、真っ向勝負を挑み、敗れた。誰がどう見ても吐合の完敗だった。吐合がピエロに見えるほど、澤井は強かったのである。
あの時の澤井は、怪物だった。
久島以来の怪物だった。
なお、2004年の全日本選手権以来、高校生の3位入賞は誕生していない。最もそこに迫ったのは、佐久間貴之のベスト8である。
豪栄道は強い力士だ。
これまでも強い力士だった。
しかし、強さを正面から受け止められぬ要素が多過ぎた。
求めるものが高過ぎた。
弱いと言うには大関は立派だ。だが、強いと感じるには至らなかった。だから、大関としての豪栄道は難しかったのだ。
私はまだ、この優勝を客観的に捉えられずに居る。恐らくここまでの豪栄道と、この夢のような14日間を共に過ごした豪栄道の間で戸惑うことだと思う。
ただ、一つ嬉しいことがある。そう。これから私は、豪栄道を難しい存在ではなく、単に強い大関として期待すれば良いのである。
お帰りなさい。豪栄道。
いや、怪物:澤井豪太郎。
これからは、一人の強豪大関を期待したいと思う。
今日はその、始まりなのである。
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