琴奨菊の「万里一空」に思う。

二日連続琴奨菊である。
幕下相撲と関わりの無いトピックのように思えるが、
この後の核心部分については
カテゴリが下の相撲について触れる話なので
ここは勘弁してもらいたい。
先日の大関昇進挨拶時に、
琴奨菊はご存知の通り、「万里一空」という言葉で
自らの意気込みについて語った。


今更この言葉について触れるのが今回の目的ではない。
むしろ考えてほしいのは、いつから力士達は
昇進の挨拶で耳慣れない四字熟語を語り始めたか?
ということである。
その起源を調べてみると、膝を打つ回答が返ってきた。
つまり、若貴だったのだ。
私が一番よく覚えているのは、
若乃花が若ノ花に改名する頃に
一意専心という言葉を使ったことで、
今にしてみると大した言葉ではないのだが、
中学生だった頃の私にはちょっとした
知識欲をそそられるトピックだったと回想する。
これを機に彼らの四字熟語は独自の進化を遂げ、
何と若乃花はマイナー四字熟語に手を出してしまう。
横綱昇進時に彼が選んだ言葉。
堅忍不抜。
読めるだろうか?
「けんにんふばつ」と発するのだ。
ちなみにこの言葉を入力すると
一発で変換してくれるから恐れ入る。
このマイナーな言葉の意味はグーグル先生で
調べてもらいたいのだが、
ここで若乃花もとい「お兄ちゃん」は
致命的なミスを犯してしまう。
そう。
読み間違えてしまったのだ。
残念ながら若乃花はこの言葉を知っておらず、
この挨拶に先立ち、四字熟語辞典で調べて
イケてる言葉を選んだ、というのが真相なのである。
このように、四字熟語挨拶の殆どは
意味自体をよく判っていないまま直前に調べた言葉を
使っているというのが実情である。
琴奨菊の「万里一空」もまた同様で、
スポーツ新聞に四字熟語辞典を引いている姿を
激写されている始末だったのだ。
その場を取り繕うために四字熟語を調べて
いい感じで終わらせることに何の意味があるのだろうか?
そもそもそれがいい感じになっているかもかなり疑問である。
残念ながら力士と言えば知性的に残念というのが
世間的な固定観念であることは否めない。
中には元栃乃和歌のようなインテリ力士も居るのだが、
相撲が無ければこの人はどうなってしまうのか?
と心配になるような人材が所狭しと存在しているということも
事実なのである。
気は優しくて力持ち。
でもちょっと頭は足りない。
というのが愛すべき力士像で、
男芸者という言葉が未だに残っているように
観ている側は彼らの知性には期待をしていない。
むしろ、相撲の完成度と対照的な
知性面でのほつれ部分が逆に彼らを
愛おしいものとして価値を高める結果にすらなっているのだ。
ちなみに以前も語ったかもしれないが、
我が大学には相撲部が存在し、
普段彼らは授業を受けていない。
当たり前だ。
朝から相撲を取っているのだから。
しかし、相撲部と言えど学生である。
相撲を取るだけでは卒業できない。
何とかして単位を取らねばならず、
つまりは我々と共にテストを受験する必要があるのだ。
そして彼らはやってくる。
講堂の最前列に相撲部が陣取り、一斉に着席する。
テストを配られた後で、彼らは教授にこう言う。
「自分達、相撲部なんで…」
この魔法の言葉を言い、名前を書くと
めでたく彼らは単位をゲットする。
こうした日常は、我が出身大学に観られる光景である。
ちなみに主な卒業生は、輪島と高見盛という
あの大学である。

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