手負いの稀勢の里が見せた横綱としての矜持を、嬉しく思う。
初日の敗戦を見て、すぐに休むべきだと思った。
千代の国との一番を見て、取り続ける姿を見たいと思った。
そして昨日、休場が決まって安堵した。
この10日程度で私の稀勢の里に対する気持ちは目まぐるしく変わった。手負いの稀勢の里であることに変わりは無い。初日の一番で稀勢の里がそういう状況にあることを、観るもの全てが知った。
あの時、出場すべきだと考えた人は殆ど居なかった。無論、私もそうだった。理由は簡単だ。稀勢の里の相撲が全く取れていなかったからだ。
私は稀勢の里を見たかったのではなかった。そう。強い稀勢の里の素晴らしい相撲が見たかったのだ。嘉風に敗れたのは稀勢の里だった。だが、強い稀勢の里ではなかった。1月から私の心を揺さぶり続けてきた、あの稀勢の里ではなかった。
今振り返ると、この2場所で見届けてきた稀勢の里があまりに素晴らしかったからこそ、それとは似ても似つかぬ稀勢の里を観ることが辛かったのだ。受け入れたくなかったのだ。受け止めたくなかったのだ。
そんな気持ちを込めて、本文は「。」のみという記事を掲載したところ、かなりの反響をいただいた。稀勢の里のあの姿に、少なからず衝撃を受けたことが原因であることは間違いない。
しかし、稀勢の里は出場を続けた。だが2日目が始まる時点で、出場する意味は見出せなかった。出場することが横綱の責任なのだろうか。とても本来の相撲を取れない力士が土俵に上がることを指して横綱の責任と言うのであれば、それは虐待と何が違うのだろうか。
同じ頃、鶴竜が休場するタイミングで、ある横審のメンバーが綱の責任を果たしていないというコメントを残した。結局、綱の責任を果たすということは一体どういうことなのか。稀勢の里が出場を続ける中で、私には分からなくなっていた。
だが、一つだけ私の中ではっきりしたことがある。
そう。
強くなければ横綱ではないのである。
稀勢の里は連日苦しい戦いを続けた。遠藤戦では不運も重なり敗れた。序盤での2敗で、今場所の優勝は厳しいものとなった。そもそもあの内容では優勝など厳しいことは分かっていた。
それでも、苦戦の中で私はこの稀勢の里を少し見続けていたいと感じていた。
最初はその理由が分からなかった。が、千代の国との取組、そして御嶽海との取組を経てその気持ちは強まった。手負いの稀勢の里が見せる相撲もまた、魅力的だったのだ。
盤石の相撲ではない。
良くない相撲であることは間違いない。
だが、あの必死さに感じずには居られなかった。
もしかすると、かつての稀勢の里はこういうところが足りなかったのかもしれない。石にかじりついても、不細工にでも勝とうとする気概。努力。連日そういう相撲を取り続けていたことが、私には嬉しかった。2場所だけの強さを、手負いの稀勢の里が体現している。それだけで十分だった。
ただ、勿論休んでほしいという気持ちは変わらなかった。
結局稀勢の里は休場を選択した。それで良かったと思う。むしろ、その決断が遅かったとも感じている。栃煌山からの連敗は、本当に怪我が作用したものなのかも分からない。前の稀勢の里に戻ってしまったのかもしれない。土俵の上から推測することしか、傍観者にはできないのである。
6勝4敗という数字は、横綱としては落第である。これで全面的に良かった訳ではないことは確かだ。批判をしたい人は批判すれば良い。何故なら、稀勢の里は横綱だからだ。
ただ、この10日間には異なる稀勢の里が居た。味わい深い10日間だったように思う。ある意味で、大阪場所の2日間よりも濃密だったのではないだろうか。手負いの稀勢の里は、横綱としての責任を果たそうとした。矜持を見せた。それが何より、嬉しかった。
辛い10日間だった。
更なる強さのための10日間であったと信じたい。
休もう。
稀勢の里も、私達も。
◇Facebookサイト◇
幕下相撲の知られざる世界のFacebookページはこちら。
◇Instagram◇
幕下相撲の知られざる世界のInstagramページはこちら。
力尽きた…、そんな気がしました。管理人さんが書いておられるように、千代の国戦をはじめ、碧山戦、御嶽海戦は、それほど「壮絶」でした。先場所は千秋楽で「力尽きました」が、それで終わりました。
でも、今場所はまだまだ残っている。
栃煌山戦で負けた後、ちょっと左腕を気にしていた仕草を見た瞬間に、稀勢の里の5月場所は終わったと思いました。
本当は最初から休んでほしかったけど、不安をかかえながらも3連覇に挑戦したのはさすがでした。
管理人さんの言われるとおり、稀勢の里という力士の真骨頂は、まさに今場所であったと、私も思います。
この10日間も、歴史にとどめるべきでしょう。
運命の神様は非情でもありますが、乗り越えられない苦難は与えないとも聞いています。
十分に責任は果たした稀勢の里を誰も責めません(アンチは責めるでしょうが、それは仕方ないことです。人間というのは、その評価に好き嫌いという「感情」が入り交じりますから)。
まずは高安と互角に稽古ができるまでケガを完治させてから本場所に臨んでほしい。それがいつになってもいいから。