【吐合速報】 落胆と喜びと。
元学生横綱でありながら
膝の大怪我から番付外への転落を経て、
8年の歳月を懸けてようやく十両獲りが
目指せる地位まで這い上がってきた吐合。
幕下2枚目で迎えた大阪場所は、
29歳の吐合にとっては相撲人生を懸けた
15日間である。
初日を白星、二日目は十両の里山に
惜しくも黒星ということで、
1勝1敗で迎えた三日目。
今日の相手は、モンゴル人の東龍である。
3時前になると職場でも落ち着かず、
トイレに逃れてツイッターを観ても
なかなかアップデートされない。
そんな中、吐合を応援する私を知ってか知らずか、
何故か母がメールを送ってきた。
だが、タイトルでその内容について察しが付いてしまった。
「件名:うーん」
もう、その後は読む必要も無い。
落胆する私。
1勝2敗となると、番付を上げるには
もう1敗しか許されない。
しかも、勝ち越すには、3勝する必要がある。
限りなく全勝に近い成績を残さねばならないところまで
3日目までの結果で追い込まれてしまった吐合。
1番の結果が非常に大きなウエイトを占めるため、
不利な状況に成ると、どうしても悲観的な
未来を考えてしまう。
相撲内容が良くても、結果が出ないことも有る。
ましてや内容が悪ければ、結果が出ないのが普通である。
だが、そんなことは分かっている。
ここ数年幕下を観ていれば、
右肩上がりでの昇進など、余程実力が無ければ
達成できないのだ。
10枚目から30枚目を行ったり来たりする
力士が多いのは、つまり実力が伯仲しており
勝負する都度結果が異なるためである。
元々そういう気概で観始めた吐合である。
勝っても負けても、吐合という存在を観ること
そのものに面白みを感じていた。
しかし、今はそれでは満足できない。
知れば知るほどその苦労の深さを考えるし、
相撲内容が充実してきたからこそ、
その努力が報われてほしいと心から思っている。
そう。
結果が出ないことに落胆するという行為自体、
以前を思えばそれそのものが大変価値の有ることなのだ。
相手が居るから仕方が無い。
そう考えて全てを受け入れるのは、広い考え方である。
大人の思想である。
だが、相手のことを思ったり、許したりという
考え方をすることによって、失われる観方もある。
思い入れが強くなると、
結果が出ないことに対する落胆が大きくなるのだが、
それ以上に努力が報われた時の喜びは
何にも代え難いものが有るのだ。
年甲斐も無くそういうことを思い出させてくれた
吐合には本当に感謝している。
相撲内容が充実しているが、
相撲人生の終焉はそこまで迫っている。
1日1日が勝負の幕下の厳しさと得難い喜びを、
吐合を通じて教わる日々は、思った以上に
幸せなことなのかもしれない。