日馬富士初黒星に見る、横綱としての孤独とは?
日馬富士が初黒星を喫した。
初日の充実ぶりを見るに、地位が人を作るのかと
期待したのだが、完全に隠岐の海のペースになり、
そのまま立て直せずに持っていかれるという
横綱に有りがちな敗戦パターンにハマってしまった、
という印象である。
果たしてこれがコンディション故なのか、
それとも実力的なものなのかは今後次第だが、
2日目に1敗という結果が付いたことは事実である。
さて、今回の敗戦が持つ意味というのは
大関時代と横綱とでは大きく異なる。
そう。
横綱は、常に優勝を期待される立場なのだ。
優勝するには低く見積もっても13勝、
平均的には14勝というのがボーダーラインである。
この事実を考えると、序盤の敗戦は
横綱を想像以上に追い込むことになる。
もう負けられない。
次は絶対に勝たねばならない。
こうした心理状態で挑むのだ。
確かに相手は横綱というだけで既に追い込まれている。
まともに行けば、横綱という名前だけで
勝負が決しているというケースも多い。
そのうえ実力差も圧倒的に有るのだから、
本来であれば絶対的強者であることは間違いない。
だが、余裕は失われると相手にも伝播する。
1対1の格闘技は、思った以上に偶発的な要素が大きいため、
一つのボタンの掛け違いが思わぬ方向に展開し、
修復不能な状況に追い込まれることも多い。
相撲の場合は、立ち合いに於ける態勢の優劣が
ボタンの掛け違いに発展しやすいために、
横綱がペースを握ること無くあっさり負けることも有る。
負けられないプレッシャーが掛かると、
ミスをしてはいけないという心理状態になる。
そして、一つのミスは土俵上で更に自らを追い込む。
統計を取る必要があるが、
横綱が序盤で負けると、優勝に絡む確率は
圧倒的に減少するはずである。
少なくとも私の記憶の中では
序盤で初黒星を喫すると、そのまま負けが込んで
そのまま休場というパターンが多い。
横綱だからこそ味わう、獰猛なプレッシャー。
負けることに対する恐怖。
それがやり甲斐である、
とは巨人の誰かが言っていた言葉である。
生まれて初めての、負けが許されない孤独。
日馬富士はこの恐怖にどう向き合うのか。
そして、それは奇しくも白鵬が通った道でもある。
白鵬はそんな日馬富士に親近感を覚えることだろう。