最も大関に迫った力士は誰か?個性派力士の中から検証する。前編
最強大関は誰か?という記事を書いたが、
相撲ファンの中ではそれと同様に盛り上がるトピックが有る。
最も大関に迫った力士は誰か?
ということである。
大関に成れる力が有りながら、届かなかった。
チャンスは有ったが、逃してしまった。
タラレバが有れば「もしかしたら」と
思わせるだけに、勿体なかった力士。
大関に成っていれば名力士として記憶されていたが
掴み損ねたために個性派として記憶に残る力士。
今回はそんな力士について誰が一番大関に迫ったかを
検証してみたいと思う。
まずは「大関に迫った力士」を検証するための条件である。
対象が広がりすぎても議論はまとまらない。
例えばアマチュア時代に期待されていたが
意外と伸びなかった久島海のような力士も
ある意味で「大関に迫った」という
印象を持っている人も居ることだろう。
また、あの力士は八百長の胴元だったが
真剣勝負だったら大関以上だった、
というような議論を始めるとキリが無い。
そのため、今回は潜在能力や期待値という尺度ではなく
あくまでも残した実績のみを考慮しようと思う。
最初に考えたのが、大関の手前の関脇としての実績である。
「大関に迫った」ということを考えれば、
少なくともその直前の地位まで到達していることは
必須条件と考えるのが自然なことだろう。
だが、考えてみると関脇というのは
番付の妙であったり平幕時代に思わぬ好成績を挙げたために
単発で昇進することも有る地位なのだ。
だからこそ、この検証をするにはまず
関脇としての地位をある程度の期間守った者に
限定しようと思う。
ある程度の期間については、これは独断と偏見で
1年としたい。
ただし、その対象は場所数の問題や
大関の役職としての重みが現在のそれになった戦後に限定する。
◆第一条件『関脇在位期間が6場所以上の力士』
この条件で絞って調査したところ、以下の24力士が残った。
安美錦
土佐ノ海
若の里
豪栄道
栃乃和歌
琴錦
貴闘力
安芸ノ島
寺尾
琴ヶ梅
逆鉾
出羽の花
栃赤城
荒勢
麒麟児
玉ノ富士
黒姫山
高見山
長谷川
羽黒花
若三杉
明武谷
岩風
安念山
個性派としか言いようの無いメンバーである。
大関に迫った、という印象の者も居れば
上位には強く下位には取りこぼしが多いために
強いと印象はそれほど無い力士も混在している。
ちなみにこの中で現役力士は安美錦、若の里、豪栄道のみ。
優勝経験者の琴富士・旭天鵬、水戸泉、多賀竜、金剛、
先代の栃東はここで消えることになった。
次回はこの中から別の条件を検証し、
誰が大関に最も迫った力士かを更に絞り込みたい。
続く。
大変興味深い企画で楽しみです
益荒雄のように、ある一瞬でも大関以上だった力士は対象外でしょうか
>search さん
今私も検証しているところですが、
似たような候補になるかもしれませんね。
ただ、私の場合は関脇として優秀という考え方ではなく
大関に迫った力士という基準なので、
順位には変動が有りそうです。
ちなみに以前Numberの特集で
大関に成れなかった男達を扱った記事が有りましたが、
あそこで出てきた力士については既に
選考から落ちているケースも有ります。
印象とデータって、やっぱり違うものですね。
>sumo-doughさん
初めまして。コメントありがとうございます。
益荒雄については子供の頃、私が推していた北尾に勝つなど
印象が非常に鮮烈でした。
思い入れが有ったため、データで見てみましたが
昭和62年春場所で1横綱4大関を初日から5日目で
破ってるんですよね。
おまけに7日目には千代の富士に勝利。
そりゃあ鮮烈な印象にもなりますよね。
ただあの場所、小錦や旭富士に連敗すると、
平幕相手にも連敗して結局9勝6敗だったんですよね…
翌場所も上位陣を相手に勝利を重ねたものの
番付が下の力士に取りこぼしが多く、
思った以上に星が伸びなかったのはかなり痛かった。
結局関脇在位は1場所。
大関獲り挑戦権は獲得できなかった、
という結果に成っています。
益荒雄についてもう一度調べるいい機会でした。
ありがとうございます。
さかのぼれば、玉乃海代太郎。
その破天荒な生き様は、壮絶。
栃錦の天敵。
病気には勝てなかった。
>大分 さん
破天荒極まりない人生ですね。
あの時代に軍人をぶっとばしたり、
シベリア抑留から生還したり、
それでもその後、大関の手の届くところまで昇進する。
時代が生み出した豪傑です。