デーモン閣下が相撲界で影響力を持っていることの問題点とは?後編

新聞記者には立場上、立ち入って書けないことが有り
週刊誌の記者は読者の喜怒哀楽を代弁することに
特化しているため善悪の二元論に終始している。
読者が何となく感じていて、でも言葉に出来ない
部分について具現化し、読者の考えを更に
次のステージに誘う存在こそが求められている。
そしてそうした期待を一身に背負う存在が
デーモン閣下なのである。
技術的な理解も深い。
歴史に対する造詣も深い。
そして溢れる相撲愛も有る。
だが、実はここに落とし穴が有る。


考えてほしいのだが、デーモン閣下は
あくまでも素人なのである。
彼は相撲の専門家ではないのだ。
ギターの上手い野球選手に対して
「ギターはプロ級」と評することは有っても
彼にギターのプロとしての役割を我々は求めない。
ダンカンはデイリースポーツにコラムを持っているが
あくまでも野球に造詣の深い素人という立場によるものであって
素人故の自由な考え方を我々は楽しんでいるにすぎない。
つまり、何が言いたいか。
私達は、素人のデーモン閣下に対して
素人としての立場ではなく代弁者としての役割を求めているのである。
そしてそれは本来、ライターの仕事なのだ。
相撲に関して表層で起こっている結果を元に、
この先何が起こるのか、そしてその結果が意味していることは何か、
我々はどのように受け止めるべきなのか。
こうした次元に足を踏み入れられるのは、専門家であることは
疑いようの無い事実である。
しかし、相撲ライターという位置付けの人が
一体どこに居るのか。
残念なことに、そんな者はどこにも居ないのだ。
相撲について語る場は雑誌で有れば「相撲」誌、
スポーツ新聞は記者の独壇場、
週刊誌が専門家を抱えるはずも無く、
今は相撲だけを書いて生活できる時代ではないのである。
こうした構造こそが正しい批評を生みづらくし、
「大関は弱くなった」とか「横綱は優勝争いしなければ引退すべき」
などといった事実とは異なる理解を助長することになる。
だからこそ、今がチャンスなのである。
専門家が居ないからこそ、知識に裏打ちされた分析力と
卓越した文章力を持っていれば、
相撲ファンの代弁者に成ることが出来る。
それは自分のためであり、ファンのためであり、
そして相撲界のためでもある。
こんな素晴らしいことは他に無いのだ。
一介のブロガーが2chで叩く対象になるほど、
相撲について表立って論じる人は居ない。
他のスポーツは評論家でさえ批評の対象にならないのに、
である。
デーモン閣下には、一素人として面白い見解を述べている人
という位置付けにすることこそが、今必要なのである。
そして、今のデーモン閣下の役割を担うのは
私達一般視聴者なのではないかと思う。
素晴らしい知識を持った人が、そこかしこに居ることを私は知っている。
だから、もっと表立って語ってほしい。
これは、私の切なる希望である。

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