地方場所未経験の私が、名古屋場所9日目に足を運んでみた。後編

名古屋場所は初めての私。
前日から宿の有る春日井市で懇意にして頂いている
相撲ファンの方から聞いた情報によると
「名古屋場所は距離が近い」ため、
親方や力士と接点を持ちやすく、また
臨場感を味わいやすいのだという。
同じ食堂で飯を喰らう力士。
同じ喫煙所でタバコを吸う親方。
そんな光景に触れたくて、電車を乗り継ぎ、
国技館とは装いが異なる愛知県体育館に到着した。
そして、例の食堂が私の目の前に現れた。


力士も姿を現すという食堂。
力士と隣り合わせて食事をする。
何という異空間だろうか。
これぞ、名古屋。
これぞ、地方場所。
体育館に入る前に、一旦食事か。
それもまた一興である。
そもそも、そのために私は朝食を抜いて
ここまで来ている。
只今の時刻、11時。
三段目が始まっている位の時間である。
さぁ、では行ってみるか。
だが、私はここで一つの事実に気づく。
11時…?
ということは、仮に力士が居たとしても
序の口や序二段ということになる。
少なくとも私は幕下は熱心に見ているが
彼らのことは全く知らない。
知らない力士と隣り合わせて飯食って、
一体何が楽しいというのだろうか?
むしろ居ると分かっているよりも、
話のネタであれば、偶然力士が居合わせていた、
という状況の方がはるかに面白い。
面白げではあるが、私にとって
この時間に食堂で力士と食事することは
あまり意味を成さないのでは?
というより、やはり力士は力士であって
私にとっては尊敬の対象なのである。
たとえ番付が下であっても、自分のような
一般ファンと同じ目線に降りてこられては
逆に困るのだ。それこそ
力士とは 遠くにありて おもふもの
そして悲しく うたふもの
なのである。
どちらかというと、その感情的な動機の方が
先に立って、「意味を成さない」というのは
あくまでも感情面の理由を補完するための
建前上の理由であるようにも思えてきた。
私にとって地方場所というのは
力士と近づくことが出来る貴重な機会ではあるが
逆に近さこそがノイズに成って、
様々なことを配慮しなければならないのかもしれない。
そう思うと、当然のように喫煙所辺りで
それとなく出入りする親方を眺めているのもまた、
逆に申し訳ないことであるようにも思えてきた。
ならば、逆に近づかずに、遠くにありておもえば良い。
食堂から踵を返し、チケットカウンターで
マスD席のチケットを差し出す私。
その後、法被を着たお姉さんに席まで案内を受ける。
思った以上に綺麗な方なので、こちらが恐縮してしまう。
そして、弁当や飲み物も買いに行ってくれるという。
私のためにそこまでしてくれるということ自体、
何だかむずかゆい思いがする。
麗人とは 遠くにありて おもふもの
そして悲しく うたふもの
空腹の私は自ら売店に赴き、
あまり期待せずに相撲弁当1500円を購入。
思った以上に美味しいことに小さな歓びを感じるも、
力士やお姉さんと距離を縮められないことに
少しの寂しさを覚えるのだった。
空腹が満たされ、三段目中位の取組が続いている。
だが。
ここで私は、衝撃的な光景を目の当たりにしたのだった。
続く。
◇特報◇
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皆様、本当にありがとうとございます!

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