阿覧引退に対する惜しむ声。力士に対する批判の裏に有る、ファンの心理。
阿覧が引退した。
現役時代は(という枕詞にも違和感が有るが)
身体能力を最大限に活かした取り口で幕内上位に定着した。
という実績についての説明をするよりも、
彼の場合触れなければならないのは、何よりも
「何故その能力が有るのに、活かしきれないのか」
という点に有る。
身体能力と体格を備えたる力士には、
我々はその能力を最大限に発揮することを期待する。
だが、阿覧はその期待に応えたとは言い難かった。
立ち合いで変化する。
相撲の動きに成れない。
結果、上位で全く星が伸びない。
可能性は有るのに進歩が見えないことに対して
批判の声は多かった。
だが、阿覧の引退については惜しむ声が多数である。
それは何故か。
まず、批判というのは期待の裏返しだということ。
近頃よく言われることだが、好きの反対は無関心なのである。
嫌いという感情は、そもそも関心が有り、
しかし納得のいかない部分が有ることに起因している。
だから、批判というのは愛情表現の一環だと私は考えている。
どうでもいい相手に対して、我々は批判などしない。
批判されなくなったとしたら、力士として人として
限界ではないかと思う。
少し変わった相撲を取る力士は、本来であれば
「個性派」という言葉で表現されるのだが、
彼の場合はそこで終わることを許されなかった。
その事実に、期待値の高さを感じないだろうか?
そして、もう一つ。
阿覧の場合、人間的な弱さが見えるのだ。
もし、彼がこのような相撲を堂々と取っていたとしたら
何も言うことは無い。
しかし、必ずどこかで正統派の相撲を取ろうと試みる。
そして、結果が出ない。
苦悩の果てに、元に戻ってしまう。
結果が出ない時のプロセスを見ているからこそ、
私は阿覧を悪い人間と思えないし、
批判はしても非難をする気にはなれないのである。
人間的な弱さゆえに、安易な行動に出る。
それは、私達も普段やっていることではないか。
超人というよりは、等身大の人間。
愛すべき存在だと感じると、どこか憎めなくなってしまう。
だからこそ、突然の別れに惜しい感情が生まれる。
力士:阿覧というよりは、生身の人間としての
ガバライエフ・アランの姿を土俵上で曝け出していたことに
親しみを覚え、そして物足りなさを感じていた。
この人間臭い人間に、良き人生を。
弱さゆえに安易な道に走らないことを、切に願う。
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力士にのぼりを作ってみたいと考えています。
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阿覧の引退は、本当に突然でしたよね。部屋の移籍も大きい要因だったのでしょうが…
この記事を見て…
幕内昇進後の大砂嵐。
安易な張り差しや引きが、致命傷にならなければいいが…
あの癖は、十両までで卒業してほしいですね。