遠藤、琴欧洲を破り世代交代を果たす。「持っている」構造を理解し、今後何を求めるかを考える。
遠藤が琴欧洲に勝利した。
いや、琴欧洲の今場所での大関復帰が消滅した、
と言うべきだろうか。
遠藤が元大関に対して引導を渡す、という
デビルアングルが成立し、
そしてその役目を見事に果たしてしまった。
今まで上位との対戦が殆ど無く、
また対応力こそが強みの遠藤にとって
力が落ちているとはいえ琴欧洲は
分が悪い相手だったのは間違いない。
それでも、遠藤は勝ってみせた。
考えてみると、相撲の歴史の中でこのような
ドラマが時代の終わりと始まりを彩ってきたのだと気づく。
大鵬と貴ノ花。
貴ノ花と千代の富士。
千代の富士と貴乃花。
曙と小錦。
そして、遠藤と琴欧洲も新たな一ページとなった。
こうしたドラマは誰にでも出来ることではない。
だからこそ、こうしたドラマを作る存在を
我々は「持っている」と評する。
「持っている」というのは、単に力だけではない
あたかも神の見えざる手が働くが如く、
運命に導かれるように出来過ぎたドラマが紡がれることを指す。
だが「持っている」というのは、一体どういうことなのか。
遠藤を正しく理解するためにも、今日はこの点について考えてみたい。
まず、実力が有るることは間違いない。
実力が有るからこそ、ドラマを産むための舞台に立てる。
最高の結果を生み出すからこそ、只の結果がドラマに成る。
そしてプロセスにも、凄味が出てくる。
実力が有るからこそのスピード出世であり、
そして、対応力を遺憾なく発揮したからこその逆転の投げなのだ。
我々は、強さの中に「持っている」ことを見出す。
だが、ただ強いだけの存在に対して
我々は「持っている」とは評さない。
つまり、「持っている」ためには自身の実力を
ここぞという場面で自身の限界まで発揮する必要が有る。
「持っている」ような印象を抱くのは
突き抜けて強いからではなく、勝ってほしい場面で
ピンポイントに凄味を見せるからなのだ。
そしてここからが重要なのだが、
前提条件として「持っている」存在と
事前にドラマを共有しておく必要が有る。
つまり、ドラマを前もって知っておくことで
事前に思い入れを抱く必要が有るわけだ。
強さもさることながら、人間的な魅力や
場合によっては欠点を知ることが大きな意味を持つ。
そしてその対戦相手とも、苦楽を共にする必要が有る。
そうすることで、乗り越えるべき壁の高さを
我々は知ることになる。
纏めると、
ここまで苦楽を共にしてきた強い力士が
ここぞという場面で神懸った実力を発揮し、
強大にしてその過程を知るライバルを倒すこと。
これが「持っている」ということである。
閉塞感の有る相撲界が求めていたのは、
正にこうした存在なのだ。
閉塞感は我々に「持っている」ことによる
ハッピーエンドを求めている。
そして、加速度的にその対象は遠藤に成りつつある。
遠藤は、また一つスターの条件を満たした。
だが今回の世代交代は「持っている」力を借りての結果とも言える。
貴乃花は「持っている」力士だったが、
第一人者となった彼は、ドラマチックな結果からは離れた。
むしろ鬼の形相の時こそ「持っている」力で
蝋燭の最後の炎を燃え上がらせたのだ。
まずは「持っている」ことにより新たな時代を
産みだしてほしいと思うのだが、その先には自身が閉塞感を生み出し、
新たな「持っている」を生み出す姿が有る。
そう。
その究極の力士の名を、白鵬と言う。
◇お知らせ1◇
先日1/25に人数が集まればオフ会を開催する、
と告知しましたが、時間が急だったことも有り
中々難しいことが判明しました。
仕切り直してまた別日に実施いたします。
ただ、1/25にまた当日自由席で観戦しようと考えております。
6時30分に国技館前で白鵬キャップを被っておりますので、
もし当日自由席での観戦をご希望の際は
前もってご連絡ください。
◇お知らせ2◇
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限定情報も配信しています。
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◇お知らせ3◇
相撲Wikiを作成しました。
相撲観戦の充実のためにも、是非書き足していただければ、
と思います。よろしくお願いいたします。
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