里山の反則に対する批判は、行き過ぎた判官贔屓?6年間の雌伏が与えた確かな実力を、信じよう。
初場所に関する総括について、複数の方から話を聞いた。
稀勢の里の綱取り失敗。
遠藤の躍進。
琴欧洲の時代の終焉。
鶴竜一世一代のパフォーマンス。
そして、圧倒的な白鵬。
この辺りが共通なのはある程度想像がついたのだが、
少し意外だったことに、誰もが共通して出した話題が
里山の千秋楽であった。
勝ち越しと三賞の懸かった大一番。
6年ぶりの幕内。
そして、小さな体を技術でカバーする取口。
そう。
観ている方の気持ちが入らない訳が無いのだ。
大相撲の末に高安を下した里山。
だが、髷に手が掛かっていたとして物言いが付き、
反則負けという裁定に。
この裁定については批判的な意見が多い。
北の富士さんの解説を引用し、意図的に手が掛かっていなければ
反則ではない、という観方をする方が多いのも特徴だ。
そして、鏡山審判部長に対して厳しいことも、今回の傾向である。
髷を引くことに対する是非、解釈については
今後相撲協会内で為されるべきことであって、
私がどうこう言う範疇の話ではない。
今回私が気にしているのは、少し判官贔屓が過ぎるのではないか?
ということだ。
一つ考えてほしい。
もし今回髷に手が掛かったのが高安なら、同じ意見を言えるだろうか?
私は確実に、里山の勝利を主張していただろう。
そして、審判団は同じ裁定を下して快哉を叫んでいただろう。
今の審判の在り方としては、少なくとも髷に手が掛かれば
かなりの確率で反則を取られる。
これは、誰に対しても平等に行われることだ。
私が言いたいのは、結局我々はハッピーエンドが観たかった。
だが、それは成し遂げられなかった。
そこに矛盾点が存在していたので、正論を説きながら
憂さ晴らしをしているに過ぎない、ということである。
つまり、髷つかみの是非は、振りかざすための正論として
利用されているだけなのだ。
なぜここまで里山に勝ち越してほしいのか?
それは、彼にとって6年ぶりの幕内であり、
次が無いかもしれない、という想定をしているからだ。
もし里山が、また幕内に上がってくると思っていれば
残念だったが来場所以降頑張れ、裁定は腹が立つけれど。
という受け止め方になることだろう。
里山のあの取口であれば、幕内に戻って勝ち越せば
必然的に技能賞という声は挙がる筈である。
このブログを長く読んでいる方は、私にとって里山が特別な存在だということは
よくご存じであろう。
十両入替戦に3戦3勝。
北はり磨。
貴ノ岩。
そして、吐合。
一生の全てを賭けて戦う者を、3度退けているのだ。
少なくとも今の里山は、十両では一定の成績を残すことが出来る力士だ。
6年という歳月は、里山に確かな実力を身に付けさせた。
そもそもフロックではないから、
千秋楽まで7勝7敗という成績だったことを忘れてはいけない。
だが、千秋楽まで勝ち越せなかったのも事実である。
それは、来場所以降の課題だと思う。
32歳の力士が更に進化するところを、私は見たいと思うのだ。
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