白鵬会見拒否の謎。我々はあの場で日馬富士に声援を上げぬべきだったのだろうか?配慮と気持ちの狭間でいかに振る舞うべきなのか。

白鵬が、慣例となっている優勝から一夜明けてからの会見を開かなかった。
理由は明らかにはなっていないが、ここまで相撲の為に
苦しい時代も貢献し続けてきた大横綱の突然の行動に
誰もがその理由を詮索している。
舞の海さんの排外発言については、記事で取り上げられた発言は
あくまでもその枕であり、真意はその後の発言に有るのだが
このようなものでさえ今回の理由として上げる方が
非常に多いのは残念でならない。
こうした想像に代表されるように、
自分の思想を白鵬に当てはめて白鵬に成り替わり、
自分の主張をすることによって、それがあたかも真実のように
ツイッターやブログで扱われることは、恐ろしいとも思う。
私は、今回の記事でその理由を考えようとは思わない。
ただ、この議論をする中で非常に気掛かりな説が有るので
これについて考えていきたい。


白鵬対日馬富士の一戦で起きた、日馬富士コール。
勿論その理由は優勝決定戦を観たいから、ということであった。
これが白鵬の心証を害した、という説である。
確かに白鵬に対して配慮の無い行為である。
稀勢の里に期待したいがために優勝争いに関係の無い日馬富士に
声援を送るという行為は、自分に置き換えれば
苛立ちを覚えるのは間違いない。
勿論私が当事者ならば、このようなことはしない。
国技館にコールは似合わないと思っているし、
配慮に欠けていることを知っているからだ。
だが、コールというのはあくまでも自分の思っていることを
行動に結び付けているというだけだ。
ツイッターのログなど確認していただければ分かるが、
コールはしないまでも、優勝決定戦を観たいために
日馬富士に期待していたファンはかなりの割合で存在していた。
もし白鵬が、こうした行動から自分の勝利を望まれないことを知り
落胆しているのであれば、我々はどうすればいいのか。
優勝決定戦を観たいと思う気持ちを押し殺して
白鵬に配慮しなければならないのだろうか?
私は、違うと思う。
白鵬は確かに凄い。
素晴らしい力士であり、素晴らしい人間だ。
それは間違いないし、そんなことは誰もが知っている。
相撲界に対する貢献が多大なものであることも、誰もが知っている。
知ったうえで優勝決定戦を望んでいる。
何故なら、そんな白鵬に立ち向かい続けることで
稀有なドラマを生み出してきた稀勢の里の物語は
他に類を見ぬほど魅力的だからだ。
無敵の横綱にとって、勝つことは日常だ。
勝ち続けることによって、物語は紡がれにくい。
そこに有るのは感動ではなく、ありふれたことなのである。
人間としての苦悩や肉体的な限界を乗り越え、
超人から相撲界の神へと成長し、
神たる存在感を7年の長きに亘って発揮し続けていれば、
そこに閉塞感は生まれてしまう。
閉塞感は変化を渇望させる。
これがもし朝青龍が居れば、勝った負けたの
ストーリーが生まれるのだが、今の白鵬は圧倒的すぎるので
負けることはミスに過ぎず、感情移入の対象には成り得ない。
圧倒的な存在が支持を集めにくいのは、
あまりに簡単に勝ってしまうからでもある。
それが凄いことだとも知っているが、圧倒的な凄さからは
エンターテイメント性が失われやすい。
簡単に勝つように見える取組は、観ていて面白いかと言えば
そうでもない。
圧倒的な実力を誇りながらも、エンターテイナーとしても
超一流だった朝青龍は、稀有な力士だったのである。
逆に、そんな巨大過ぎる敵を向こうに回して苦悩し、
失敗を重ねながらも巨大な敵との距離を縮めるストーリーが有れば、
どちらを支持するだろうか?
人は自分に近い存在に対して、感情移入するものである。
稀勢の里の物語は、超人でありながら等身大の人間の苦悩が
至る所に観られるものである。
我々は白鵬的な部分を探すのは難しいが、
稀勢の里であればいくつも見つけられる。
だから、優勝決定戦を望むことは自然な事であり、
それ自体は批判されることではないのだ。
最低限度の礼儀は果たすべきだ。
だが誰に肩入れするかは、その人の自由だ。
好きな力士に声を上げ、手を叩く。
相撲の応援は、そんな単純なことで良いと私は思うのだ。
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白鵬会見拒否の謎。我々はあの場で日馬富士に声援を上げぬべきだったのだろうか?配慮と気持ちの狭間でいかに振る舞うべきなのか。” に対して1件のコメントがあります。

  1. 日星 より:

    モンゴル横綱はこれまでも八百長をしてきた。
    白鵬はいつも勝ちを譲ってきたが、今回は返してもらったわけです。
    稀勢の里との立会は、過去にもあったようにわざと立たないのです。かって、朝青龍と平幕力士が優勝争いをした場所で、平幕力士と当った白鵬は、今回と同様、待ったをして相手を焦らしたのを覚えています。

  2. toko より:

    もしも決定戦を望むのなら、日馬富士コールは全く意味がないと思いました。なぜなら力士には日頃から品格が求められており、相手に対して失礼なあんな応援があっては、かえって集中力を切らすからです。観客には大いに反省を求めたいと思いますし、協会は観客にこびず、力士を守るよう観戦のマナーを示すくらいのことをやって良いのではないでしょうか。

  3. しんしん より:

    ブログ主さんも確か以前にテーマにしてくださっていましたが、コールや万歳などで感情を表すことがこの競技にふさわしいのかどうか。
    万歳事件のあとに食事も摂らず「自分がしてきたことは何だったのか」と親方に語ったという白鵬の胸中を思うと、あまりにも配慮がない感情発露の方法だったのではと思います。
    その時に相撲界を支えてくれた恩人の胸中を思いやっていたのは、他ならぬブログ主さんではありませんか?
    好き嫌いはあれ、配慮やリスペクトは忘れないでいたいものですね。
    個人的には白鵬はもう何も言わず、来場所普通に出てきて全勝優勝してくれればそれが一番だと思っています。

  4. 麺部員 より:

    こんばんは。
    私も優勝決定戦を熱望していた一人ではありますが、テレビで例のコールを聞いたとき、万歳コールと同様、一緒に見ていた嫁と眉をひそめてしまいました。
    君が代斉唱の際、NHKアナが、白鵬が口ずさんでいないことを指摘しており、何か嫌な感じがありましたが、その後の優勝インタビューやサンデースポーツでのデーモン閣下とのやり取りがいつも通りに見えただけに、やっぱりか、という感じです。。。
    いろいろと憶測されていますが、白鵬自身の口から語られない限りは憶測に過ぎません。
    仮に例のコールが気に入らなかったとしても、それが直接の原因ではなく、あくまでも今回の件のきっかけでしかなかったのではないでしょうか。
    相撲界の人気回復に伴い、相撲ファンには常識である各力士のキャラやそこに至るまでのストーリー、会場における応援の仕方も知らない一見の観客が増えることはある程度仕方のない事なのかもしれません。
    すいません。実はこの後もいろいろ言葉を選んでいたものの、なかなか適当な(適切な?)文章にまとめることができませんでした。
    何を言っても賛否ありそうで難しいですが、子供の頃のように、ひいきの力士に対し、バックストーリーなど考えず、純粋に応援していた時が懐かしいですね。。。

  5. 角犬 より:

    こんばんは。
    千秋楽の日馬富士コールは白鵬も傷ついたでしょうけれど、何より日馬富士に対して失礼だなと思いました。あれは日馬富士ではなく稀勢の里に対する応援だったからです。もしかしたら外国人力士のほとんどが不愉快に感じていたかもしれません。
    どんなスポーツにもいえることですが、応援には人としての配慮や思いやりが必要だと思います。

  6. キセファン より:

    いやぁ、あそこは日馬富士を応援してしまいました。
    正直、稀勢の里ファンとしても優勝決定戦は見たかったですし、
    何より面白い場所を見たいですよ。
    ただしコールは反対派です。
    普通に「ハルマフジー!」と自分が声をあげて応援すればいいと思います。
    会場を煽ろうとするのには違和感あります。

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