変化に対する喜びと、戸惑いと。逸ノ城の9月革命を、我々はどのように捉えるべきなのか。

振り返ってみると、ひょっとしたら過大評価なのかもしれない。
12日間の取組をおさらいしてみた。
軒並み相手に先手を取られているではないか。
立ち遅れる。
圧力を受ける。
押し込まれて徳俵に足が掛かる。
本来ならば、負けの相撲だ。
彼の相撲は、そういう意味ではまだ
幕内に適応出来ていない。
常幸龍がまだ佐久間山という名前で
幕下で連勝を重ねていた時が、このような相撲だった。
普通では考えられないような体勢からの、逆転。
身体の柔らかさと、懐の深さ。
そして、強靭な足腰によって普通は土俵を割るところを残し、
気が付けば自分の体勢に持ち込んでしまう。
私は、これほど相手に先手を取られる幕内力士を
他に思い出せない。
常幸龍でさえ、この形を修正してきたのだから。
居るとすれば、貴ノ浪だろうか。
だが貴ノ浪は外四つで組み止める形だ。
これほど相手にやらせる形ではないので、
相対的に危険度は低かったのかもしれない。
普通の相撲の文法で考えれば、ここまで勝てることが
むしろ不思議なのである。
そして、振り返ってみると、上位力士を
全て自分の形で破っているかと言えば、そうではない。
横綱大関相手に、三度の勝利。
しかし、二つは変化だ。
そしてもう一つは、初めて大関で迎える豪栄道。
昇進場所というのは、なかなか本領を発揮しづらいものだ。
様々な場所に顔を出し、大関としての務めを果たす。
遣り甲斐を感じながらも、精神的に大きく疲弊する。
豪栄道は今場所、コンディション不良から
思うように稽古できていない。
付け加えると、三役経験者の栃煌山も松鳳山も、
本調子からすると今一つの出来だった。
冷静に考えると、このような側面が有る中での連勝だ。
そうだ、冷静になろう。
だが、それは無理な話だ。
三役経験者を軒並み組み止めて放り捨て、
横綱大関に突っかけた後で思い切って変化し、
実力者の豪栄道をぶん投げる。
13日で12体の躯を屠ってきたモンゴルの怪物の衝撃は、
理性で制することが難しい次元なのである。
頭の中では冷静になろうとするのだ。
それは恐らく、過剰に期待したり課題に評価する自分を諌めて、
ドラマチックな結末を迎えなかったときの落胆を
抑えようとする行為なのだと思う。
散々期待はしてきたが結局時代は動かなかったという、
ここ数年の一連の流れが、私にそうさせるのだろう。
そして、逸ノ城の他の何にも属さない、
何にも形容し難い強さに対して歓びというより
戸惑いという感情を抱いていることが
冷や水を浴びせ続ける要因でもあると思う。
何かが変わって欲しいという想いも有る。
だが、変わってしまっては怖いという想いも有る。
今場所の序盤で、私は「逸ノ城は革命者なのか」という
タイトルで記事を書いた。
間違いなく彼は、今場所の相撲界に9月革命を齎した。
停滞した相撲界に新風を与える存在として。
しかし今日の一番の結果如何では、
今場所のみならず今後の相撲界の勢力図に
革命を齎す結果となる。
14年ぶりの新入幕大関撃破。
41年ぶりの新入幕横綱撃破。
そして、100年ぶりの新入幕優勝。
NHKのアナウンサーまでが「伝説」という言葉で評する、逸ノ城。
革命者の伝説は、今日完遂されるのか。
そしてその先に有る結果を、我々はどのように受け止めるのか。
見よう。
そして、受け止めよう。
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