何故白鵬の32回目の優勝は、話題にならないのか。後編。土俵を守り続けた白鵬と、土俵態度に問題の有る2人の白鵬に対する戸惑いを考える。
今場所の白鵬が目指す32回目の優勝は、相撲ファンであれば誰でも
その意味を知っている。
本来ならば今場所はこの一点に話題が集中するはずなのだが
どちらかと言えば逸ノ城の方が話題が出やすい状況だ。
前回の記事ではその理由として
凄すぎる白鵬がこの記録を達成するのは時間の問題で、
凄すぎる故に感情移入しづらく、
力を入れて白鵬を後押しする心情に成りにくい、
という話をした。
相撲界が危機的な状況だったからこそ、
世間は完璧な横綱を求め、白鵬はそれに応えた。
しかし完璧だからこそ白鵬は興味の対象にならないのだとすれば
これほど皮肉なことは無いと私は思う。
さて、白鵬の記録が話題になりにくい理由だが、
実はもう一つあり、こちらの方が根深い。
それは、今の白鵬の土俵態度にどう向き合えば良いか、
混乱していることである。
白鵬は前述のとおり、危機的な状況の相撲界で
力士としても人間としても完璧な姿を体現し続けてきた。
確かな相撲と相撲の精神が生きていたことが後押しとなり、
相撲人気は回復することになった。
こうした姿を我々は知っている。
だからこそ白鵬に対して敬意を抱いている。
しかし今の白鵬は、そうしたイメージで向き合うと
かなり戸惑うことになる。
張り手もするし、カチ上げもする。
立ち合いで狡猾な駆け引きもする。
彼がよく口に出す、大鵬や双葉山という
ロールモデルとしての力士像ではない、
人によってはダーティと捉える相撲を取っているのが
現在の白鵬なのである。
相撲人気が低迷していた時の白鵬は
このような相撲を取っていなかったのだが、
自身の成績が一時的に落ちたのと
日馬富士や琴奨菊、稀勢の里や鶴竜の台頭が重なった
タイミングでこのような変化を見せた。
更には、土俵入りでのアレンジや
懸賞金を「もぎ取る」独特の所作。
これにはさすがに異論の声もかなり挙がっている。
こうした所作は全て意味が有り、全てが
相撲を文化とたらしめているのだから。
そんなにその所作が大事なのだろうか。
批判をされても、貫かねばならないほど拘りがあるのだろうか。
相撲という文化を体を張って守ってきた白鵬が、
自ら文化を壊しているのだから、
我々は当惑するばかりなのである。
朝青龍であれば我々は何も気にせずに
こうした全てを批判する。
感情的なしこりも含めて怒りの感情をぶつけることだろう。
だが、相手はあの白鵬なのだ。
相撲を守り続けたあの白鵬なのである。
素晴らしい人間であり素晴らしい力士の白鵬というイメージが強過ぎるので、
批判を躊躇い、彼にどう向き合えば良いかが分からなくなる。
32回目の優勝を目前に控え、素晴らしき白鵬という
イメージが肥大する中で、土俵態度は一向に改善されず、
その偉業とは正反対のノイズを無視できないことに
正直なところ困り果てている。
改善されない態度から、本当の白鵬が分からなくなってきていることも大きい。
今土俵で見せている白鵬こそ、彼の真の姿なのかもしれない。
少なくとも、土俵を守り続けてきたあの時の白鵬が虚像だったことを
私達は少しずつ理解し、受け入れられずに居る。
生身の白鵬が見えない状況で、
過去の偉業から批判の声も挙げにくい。
横綱審議委員会がその受け皿に成れば良いのだが
彼らは白鵬には及び腰なのでそれは期待できない。
私は過去にその期待を横綱審議委員会に期待する記事を上げたが、
結果は散々なものだった。
過去記事:
土俵態度が物議を醸す白鵬。偉大過ぎる人間:白鵬の影が批判を許さぬ今、横綱審議委員会の真価が問われる。
唯一それが出来るデーモン閣下に痛いことを言われても、
今のところ根本的な解決には至っていない。
これだけモヤモヤした気持ちを抱いた状態で、
偉業を果たして祝えるだろうか。
私には形式的にしか祝えない。
今の土俵態度を正当化しているのだとすれば、
きちんと向き合って説明せねばならない。
現在の状況が続くと、我々は新記録を更新する裸の王様に戸惑い、
王様の狼藉に批判の声も挙げられないという
観ていてこれほどつまらないことは無い状況に陥ることになる。
もう白鵬に残された時間は、僅かだ。
新記録を達成したとすれば、彼にモノ申せる人は居なくなるだろう。
白鵬のためにも、ファンのためにも、
今だからこそ戸惑いの源に向き合ってほしい。
それが出来るのは、恐らくデーモン閣下以外だと
地球上で一人だけだろう。
そう。
モンゴル人の先輩横綱だけである。
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