何故白鵬の32回目の優勝は、話題にならないのか。前編。圧倒的すぎることによる副作用を考える。

九州場所で一つ疑問に感じていることが有る。
見所として、報道としては逸ノ城がどれだけやれるか、ということに
注目が集まっているからである。
本来白鵬の32回目の優勝になるべきなのだが、あまり話題にならない。
史上最多の優勝記録を塗り替えること。
そして、その記録保持者が「巨人大鵬卵焼き」の大鵬であること。
歴史的なマイルストーンを実現するかもしれない、
そういう瞬間の目撃者になれるかもしれないというのに、
報道のテンションが上がらないのはともかくとして
私自身胸躍る感覚が無いのである。
特に白鵬の優勝記録は、苦難の時代を経て
相撲ファンと共に成し得ているので、ある意味で
どの横綱よりも重い意味を持っている。
相撲に対する信頼が失墜し、観客が激減し、
連日ネガティブな報道が踊ったそんな時代に
白鵬は土俵に上がり続け、相撲の強さを魅せることによって
文化としての価値を誇示し続けた。
白鵬の存在が大相撲を救い、今日の相撲ブームの礎となったのだが
どうにも話題にならないし、記録の達成に手に汗を握る、
という九州場所にはなっていないのが事実だ。
私はその理由が大きく分けて二つあると感じている。
まず一つが白鵬の優勝記録は、遅かれ早かれ達成されることに有る。
今の白鵬の実力とライバルとの力関係を考慮すると、
周知のとおりそこには埋めようの無い差が有ることは事実だ。
過去2年の10日目までの成績が118勝2敗だ。
またその2年間で9回優勝し、残りの3場所も準優勝。
当然、休場は1日たりとも無い。
つまりは序盤中盤終盤と隙の無い、
どんな場所でも安定して好成績を残す力士だということだ。
本来積み上げ型の記録で歴史的な快挙を達成する場合は
既にベテランとなっており、ボロボロになりながらも
最後の炎を燃やして掴み取るからこそ、
我々は心情を察して後押ししたくなる。
しかし白鵬の現状は、それとは真逆だ。
誰よりも健康で、誰よりも技が切れる。
ライバルは満身創痍で、新人たちはまだまだ未熟だ。
白鵬が圧倒的優位な立場であることは、誰の目にも明らかなのである。
たとえ今場所達成できなかったとしても、
歴史的快挙が達成されるのは時間の問題だ。
何かを乗り越えて達成した記録というよりは
無人の荒野を一人で切り開きながら成し得たそれなので、
苦労の過程にも想いを馳せにくい。
圧倒的すぎる白鵬は、自己投影しづらい存在だ。
欠点が有る人間はそこに人間味を覚えるので
ファンとして肩入れしやすいのだが、
白鵬の場合はむしろ完璧であるためにそうなりにくい。
状況的にも、人間的にも圧倒的なことが、
興味を失わせる結果となるのは皮肉と言わざるを得ない。
だが、本当の意味で根深いのは、二つ目の理由である。
続く。
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