貴乃花が関取を育てられない理由。5

人材発掘も上手くいかず、
自らを支えるタニマチを理想に突き進むがために
切り捨ててしまい、足元から自壊の道に
突き進んでしまった貴乃花。
この局面を一発逆転する要素は
もはや指導力の一点なのだが、
貴乃花はモンゴル人すら関取にした
経験が無いのである。
力士にとってプラスたる材料が見えない貴乃花部屋。
そんなダメぶりは既に痛々しい次元にまで来ている。
だが、貴乃花は本当に指導力が無いのだろうか?
もしかすると彼の指導力の問題でなく、
単に指標となっているモンゴル人の
能力不足という問題なのではないか?
そう考えた私は、貴乃花の
指導について以前見たVTRを脳内で再生することにした。


神妙な面持ちで弟子達を見つめる貴乃花。
四股を踏む弟子達。
その中で一人自己最高位で全く自分の
思う相撲が取れていない、部屋のホープ・貴ノ岩。
悩めるホープは稽古からして動きが悪い。
番付で自分より下位の力士に対しても
土俵を割ってしまう有様である。
ここで貴乃花が一喝。
「自分の考えなど捨てろ!親方の言うことだけを聞け!」

確かに彼の言うことは正しいのかもしれない。
しかし、ただ服従するだけでいいのだろうか?
それでは親方が居なくては何も出来ないではないか?
そんなことでは単なる親方の考えで動くだけの
ロボット的な存在を粗製してしまうだけの結果になってしまう。
少なくとも会社組織の中での人材育成の在り方と
180℃見方の異なる指導法であることは間違いない。
その時は強くなるのかもしれない。
だが、それでいいのか?
剣道には「守破離」という言葉があり、
最初は指導者の言うことを聞き、
そしてある段階に来るとその教えを自ら噛み砕いて
自らの方法論で取組を進める。
そして、もう一段階上がると、師匠から卒業して
あとは自らの哲学に則って上を目指す、
ということを表している。
守るだけでは何も生まれない。
だがもしかすると守る段階だからこそ、
このような極端なことを言うのかもしれない。
とはいえ、絶対服従を要求するやり方が
正しいとは私は思わない。
盲目的に守るだけの人間が将来的に
自ら考えることを採り入れられるとは思わないからだ。
そんなことを思い出していると、
そのVTRの中で登場した珍シーンを思い出した。
自らの迷いを貴乃花に打ち明けたところ、
物凄く抽象的な精神論を言われただけで、
番組的には「判りました」と言っていた貴ノ岩ではあったが、
顔は明らかに混乱をきたしていた。
そして、迎えた5日目。
4連敗後の一番で、貴ノ岩は勝利する。
喜び勇んで親方に報告する貴ノ岩。
だが、ここで貴乃花は信じられない一言を発する。
「今日勝ったのは、たまたまだ!」
…この人は指導者として大丈夫なのだろうか?
いや、大丈夫であるはずがない。
そう確信したワンシーンだった。

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