遠藤夏場所出場で気付いた意外な事実。今の相撲人気は、力士人気ではない。大相撲人気である。
遠藤が、夏場所出場を表明した。
先場所での大怪我を覚えている方も多いと思うが、確かにあの時の遠藤は足が不自然な角度だった。前十字靭帯損傷であれば全治半年、断裂であれば全治一年とさえ囁かれていた。だが遠藤曰く「思ったより動けている」のだという。
大丈夫だろうか。それは方便なのではないだろうか。このような形で人気力士を失いかねないリスクを負うのはどうなのだろうか。
今場所という短期的な視点で観るよりも、今後永く相撲界を支える立場だからこそ休む勇気も必要なのではないだろうか。
だが、力士にとって番付は命であり、それを守ろうとすることそのものは誰も責められないのではないだろうか。
力士の立場、ファンの立場、そして協会の立場で視点を変えるといずれも正論だ。だから、どちらの決断を取ろうとも正解も不正解も無いと私は思う。あとは遠藤を見届けるだけだ。不安ではあるが、楽しみは一つ増えたことは喜ばしいことである。
…?
楽しみが、一つ増えた…?
私は大事なことを一つ忘れていた。
4月に私は靖国神社の奉納大相撲と大相撲超会議場所に足を運んだのだが、考えてみると遠藤が不在だったのである。そして驚くべきことに、観客動員は昨年よりもかなり多かったのだ。
靖国神社の入りは夏場所の整理券配布が重なったにもかかわらず前年を凌駕し、夏場所のチケットは土日は勿論、後半戦は入手困難な状況なのである。最近まで遠藤は休場するという見方が一般的だったにもかかわらず、だ。
ここでハッキリしたこと。
今の相撲人気は、遠藤人気ではないのだ。
例えば20年前の相撲人気は「若貴フィーバー」という言葉で表されていたことから、彼らが大関、横綱と昇進した時に物語は完結し、動員も緩やかに下降線を辿った。例えば「カープ女子」も「セレ女」もチーム人気であり、チームが不振になれば動員は落ち込んでしまう。J2に落ちた今、セレ女という言葉をあまり聞かなくなったのはその証左ではないかと思う。
個人の人気であれば、その対象が去れば熱も引く。チーム人気であれば、マイナスな出来事が有ればコアなファンだけが残る。
しかし、本来競技そのものに対するファンは非常に育てにくいのが現実だ。何故なら、チームや特定の個人が織り成すドラマに肩入れすることこそスポーツ観戦の醍醐味と言えるからである。
我々素人にとってスポーツに於ける技術論は興味深いものではあるが、アスリートではないためにその面白さや奥深さは伝わりにくいのが実情だ。だからこそ、技術論は誰もが共有できる類のものではない。だがこれが人間ドラマなのだとすれば誰もが共有できるし、感情移入の対象が見つかりやすい。
このようにブームというのは特定の個人、もしくはチームが牽引するのが常である。故に安定して人気を獲得するのは難しく、数年のブームで消滅する競技が後を絶たない。だからこそ、今の相撲人気は極めて異質なのである。
力士人気ではなく、相撲人気。本来競技が目指す形が、実を結びつつあるのが現在の大相撲である。
しかし私は、それでもまだ足りないと思う。
例えば、マス席を観ればその大多数が高齢者だ。例えば、相撲女子が話題なのは若い女性が相撲を観るのが意外だからだ。
何が言いたいか。現時点での相撲人気は特定のファン層に支えられたものだということである。
特定層から、一般層への拡大。
今は既にその段階に来ている。
だが、これが一番難しいのである。
遠藤人気を相撲人気に転換させた相撲協会の手腕は見事だ。だが、更なる人気に転じさせることこそ、今後の課題なのである。
1年後。
5年後。
そして10年後。
相撲界はどうなっているのか。
マス席のファン層はどのように遷移しているのか。
今のブームに胡坐をかいていては、未来は無いのである。
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