鶴竜休場に対する世論の成熟。横綱審議委員会に左右されないファンの成長こそ、近年最大の変化である。

鶴竜が、夏場所休場を発表した。
横綱に昇進する2場所の充実ぶりは目を見張るものが有ったが、昇進後は良くも悪くも安定している。大崩れはしないが、あの時と比較するともう少しできるのではないかとも思う。
早いもので横綱昇進からもう1年が経過している。生涯でも最も充実しているかもしれない白鵬が相手なので、最高の結果を望むのは酷と思うが綱を掴んだ時のアッパー張り手のインパクトを再現できずに居るのは寂しいことだ。
そして、そうこうしている間に齢を重ね、勤続疲労が原因で2場所連続休場の重傷を負ってしまった。少なくともあの時の鶴竜とは異なる鶴竜が今存在していることは事実である。努力が実を結ぶにはそれなりの歳月が必要だが、努力の成果が崩れるのはほんの一瞬ということも多い。10勝5敗でさえ物足りないと言われる立場だからこそ、少し崩れただけでも立場が厳しくなるのは間違いない。
そんな鶴竜を観ながら、はたと気付いたことが有った。そういえば、鶴竜は横綱審議委員会からそれほど厳しい注文を浴びていないのである。
日馬富士が横綱に昇進した時、彼はいわゆる横綱相撲を取るよう注文を付けられた。相手を組み止めて、動きを見切って、四つで盤石の形で倒す形。昭和の大横綱の系譜の、後の先の四つ相撲をいつしかあらゆる横綱に要求するようになっていた。特に日馬富士は9勝と全勝を交互に繰り返す稀有な存在だったことから、強さを正当に評価できなかったことも作用していたのかもしれない。
かつて調査した際は歴代横綱平均レベルの7割5分の勝率を誇り、優勝回数6回も決して少なくはない。日馬富士は弱くはないという論証は数字の上からも実証された。そして何よりも、日馬富士の強さたる速攻相撲の否定は大きな反発を招き、日馬富士再評価といううねりが生まれた。
横綱審議委員会はこれ以降、かつてのような批判をすることは無くなった。その少し後に横綱になった鶴竜は、彼本来の相撲を取り続けても特に注文は付けられていない。無茶な要求が姿を消したことは、素直にいいことだと私は思う。
横綱審議委員会の苦言を元に、マスコミはかつて記事を作ってきた。彼らの意見は世論を形成する一因にもなっていた。未だに「横綱は12勝出来なければ大関に降格させるべきだ」などという意見も有るが、これは当時彼らがデータなどの論拠が無い状態で要求した水準が未だに尾を引いていることに起因している。
だが、こうした意見に対してデータを用いて反論することも、最近では珍しくなくなってきた。これを私は、相撲世論の成熟だと考えている。ひょっとすると、これは相撲を取り巻く環境変化の中では一番インパクトの有る出来事かもしれない。
かつて私は横綱審議委員会に反発して「横綱審議委員会審議委員会」なる組織を立ち上げ、横綱審議委員会の言動を委員の方々と監視するという活動を定期的に行っていたのだが、横綱審議委員会審議委員会が要らない世の中が到来しているのだ。
ただ一つ間違えてはいけないのは、要求水準は徒に落してはならないということ。横綱審議委員会やマスコミから反発するがために、彼らに対するアンチテーゼとして高過ぎる要求水準を否定すべきではないと私は考えている。
どのような成績でも、どのような取り口でもいいわけではない。やっていいこと、悪いこと。そして横綱として妥当な成績ラインというのは確実に存在する。ただ、これは客観性が伴わなければならないということだ。そうでなければかつての横綱審議委員会と同じことを我々が行うだけになってしまう。
もっと掘り下げれば、新しい相撲が見えてくる。
論拠を持って議論出来れば相撲はもっと面白いと思うのだ。
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