逸ノ城の白鵬撃破。成功体験という名のメッセージを如何に受け止めるかが、今後の鍵を握る理由とは?
逸ノ城が白鵬を撃破した。
仕事が終わった後でTwitterを見て、我が目を疑った。34回の優勝を誇り、且つ序盤に絶対の強さを見せる白鵬が負けたことは確かに想定していなかったのだが、それ以上に大きな意味を持っていたことが有る。
それは、逸ノ城が白鵬に勝ったということである。恐らく4月29日に国技館に足を運んだ方であれば、この光景は予想だにしなかっただろう。
あの日、国技館では息を呑む光景が有った。
白鵬が逸ノ城をかわいがったのだ。
只のかわいがりではない。体力を早々に失い、起き上がれない逸ノ城を白鵬は追い込んだ。普段厳しい稽古をしていないことは誰の目にも明らかだった逸ノ城はこのかわいがりについていけず、土俵上で大の字になった。蹴られても、髷をつままれても、この屈辱的な仕打ちに対して200キロを超える巨体は応えることが出来ない。
立ち上がれない度に白鵬は逸ノ城を砂まみれにしてゆく。これほど砂まみれの力士を見たことが無いと感じるほど逸ノ城の体から肌の面積は減り、異様なきな粉餅が出来上がっていた。限界まで追い込む強さを身に付けるためのかわいがりなのだが、逸ノ城は最後まで闘う姿勢を見せられぬままだった。
恐らく逸ノ城は白鵬に対して恐怖しか覚えていないだろう。稽古場で闘う姿勢を見せられなかったのだから、そう考えるのは当然のことである。これを如何に乗り越えていくか。逸ノ城に与えられたこれは一つのテーマであるように思えた。
これは、稽古場と本割の違いという次元の話ではない。それほどまでに衝撃的な光景だったのである。だが、逸ノ城は勝った。そんな経緯から、私はこの結果に唖然とした。そしてその内容に期待したのだが、そのプロセスは期待していたものとは異なっていた。
残念ながら、今回の結果は何かを乗り越えた先のものとは言い難い。何かが素晴らしく良かったわけではなかった。立ち遅れて白鵬の体勢になりかけたところで逸ノ城が差し手を抜き、小手に振ったところで白鵬が手を付いた。
では、この勝ちが意味を持たないかと言えばそうではない。
あれほど自分をかわいがった相手が、目の前で屈している。大横綱と言えどミスもするし、勝負となれば自分が勝つことだって有る。それを知ることがどれだけ勇気になることか。これからはどんなにかわいがられても、恐れることは無いのである。何故なら、勝負となれば勝つことも有ることを、身を持って知ったからだ。
成功体験は、人の気持ちを変える。全員が成功体験をその後の成功に結び付けるわけではない。だが、成功体験がきっかけとなり更に大きく成長することはよく有る。
今はまだ、白鵬がミスしなければ勝てないかもしれない。だが今後は自分の形が見えた時に、強気に攻められるかもしれない。他の力士が気後れしワンテンポ遅れてしまうところを、成功体験の有る逸ノ城は遠慮なく行けるかもしれない。今日の勝利は、逸ノ城にとって飛躍のチャンスなのだと私は思う。この成功体験で「このままでいい」と思うのか、「もっと強くなりたい」と思うかで今後が大きく変わることになる。
自分の力で勝ちを引き寄せるには、まだまだ努力が必要である。今のままではたまたまが重ならない限り、今日の再現は出来ない。
今日の勝ちをどのように受け止めるか。
逸ノ城の今後に注目である。
◇お知らせ◇
幕下相撲の知られざる世界のFacebookページはこちら。
限定情報も配信しています。