元力士:市原/清瀬海の目指す次の道は、教師。重過ぎる十字架を背負った彼を待ち受ける茨の道と、その可能性とは?

「これ臥牙あるあるなんですけどね、まだ新弟子だった頃の臥牙があんまり日本語わかんないんでしょうね。化粧まわしを詰めた風呂敷を探してて『兄弟子、ピロシキどこですか?』って言ったんすよ。すぐ気付いたのか、白い顔が真っ赤になりましてね。はっはっは!」
豪快に笑い飛ばす170キロの男性の名は、市原孝行さん。これは相撲バー「スナック愛」での一コマである。本場所中でもないのに老いも若きもここに集い、共に笑う。元アマチュア横綱で史上初めて幕下10枚目格付け出しデビューを果たした元:市原/清瀬海が、10名程度が限界のスナックを切り盛りする非日常。
高校でも大学でも、果ては木瀬部屋でも包丁など一度も握ったことが無かったスーパーエリートが、ちゃんこやカレーライスを振る舞う。「自分でも驚いたんですけど、料理のセンスが有るみたいなんですよ」と語るそれは確かに美味しい。かなりの割合でお替わりを所望されるところからも、自認するセンスが本物であることが分かる。
強面で力士然とした風体の彼がスナックを経営するというニュースを聞いた時、私は耳を疑った。そしてそれは他の方も同じだった。「スナック愛」という存在は常にどこか半笑いで語られる対象だったし、今もそうだ。2015年にはその存在が絶滅危惧種である、イタズラ電話も未だに掛かってくるそうである。
だが「スナック愛」は盛況が続いている。そんな中、私は市原さんから驚くべき話を聞いた。
市原さんは今、教師を目指しているのだという。
元々市原さんは教師志望の方だった。だが、監督の薦めも有って大相撲の道を選んだ。だが、力士としてのキャリアは4年前終焉を迎えた。「相撲を教えたい」というもう一つの夢に向かって、市原さんは今歩み始めたのである。
31歳という年齢からも、こうしたチャレンジは恐らく最後になることだろう。盛況の「スナック愛」の経営を続ければ良いのかもしれない。だが、市原さんはチャレンジする道を選んだ。とはいえ恐らく皆さんが驚いたのは、市原さんがこの年齢で新しいことにチャレンジしたことではないと思う。
つまり、ああいう騒動で大相撲から離れた市原さんが教師を目指すということではないだろうか。
市原さんは、相撲界が窮地に陥った例の問題で土俵を去ることになった方である。彼はあの時引退勧告処分を受け、引退するという道を選んだ。見方によっては市原さんは相撲人気衰退を産んだ一人と言えるのかもしれない。「スナック愛」と言うと半笑いになる方が居るのは、つまりそういうことなのである。
私でさえ相撲を知らない方から聞かれる。「大相撲って、例の問題まだ有るの?」と。つまり大相撲は今人気回復しているかもしれないが、信頼を完全に回復するには至っていないのである。ファンからすればもう忘れたい出来事ではあるが、世間はそれを赦さない。
あの問題の渦中に居た人間が、教師の道を志す。聞く人が聞いたら腹を立てるかもしれない。真相は藪の中だが、問題とは無縁だった力士からすれば彼によって相撲が汚された、相撲が窮地に立たされたと考えてもおかしくない。信頼を損なった中で市原さんは去り、残された力士達は信頼回復に向けてその尻拭いを強いられた。市原さんを赦せないと考えることは、ここまでの歴史を想うと致し方ないことだ。
果たして市原さんは、教師に相応しい方なのだろうか。
そして市原さんは、教師になって良い方なのだろうか。
自問自答した時に気付いたのは、それを決めるのは人次第だということである。
市原さんは騒動に対してケジメを付けた方だ。だからこそ、あの問題に対して彼がすべきことは残されていない。あくまでも問題は、彼を教員として受け入れる学校が有るか無いかということである。市原さんの過去と今を踏まえたうえで、それでも彼を欲しいという学校が有るのか、ということが問われている訳である。騒動という致命的なマイナスを考えても、市原さんの人間性と相撲に対する唯一無二の技術を欲しいと思う学校が有るのだろうか。それは私には分からない。
だが市原さんは、そういうマイナスが有りながら「スナック愛」を繁盛させた方である。「スナック愛」の売りは、センスのある素人が作ったちゃんこでもカレーでも酒でもない。そう。市原孝行そのものである。市原孝行に会いに、人は「スナック愛」に足を運ぶのである。今の繁盛は、つまり市原孝行という人間に対する評価と言えるのだ。あのような騒動を誰もが知る中で、市原さんがもし取っ付きにくい方だったり、嫌な方だとしたらどうだろうか。SNSで誰もが発信できるこの時代だ。悪評は全国各地に駆け巡ることだろう。
市原さんは、とにかく人を見ている。誰と誰をくっつければ話が盛り上がるか、相性が悪いかを常に考えている。単に話が上手く、圧倒的な実績故に人が集まっているのではない。単に「スナック愛」という場所は居心地が良いのだ。そして、その場所作りに腐心しているのが市原さんと言う人なのである。以前市原さんはこんな話をしていたことが有る。
「現役時代にタニマチと飲む時、必ずどういうお酒が好きかを覚えるんです。そうすると、また別の機会に会って飲んだ時にそのお酒を勧めるとかわいがってもらえるんですよ。」
彼はとにかく人のことをよく覚えている。前述のお酒の好みに加えて出身地や趣味、店での小さなエピソードもそうだ。そうした知識を踏まえたうえで、お客さんが心地良く居られるように小さな配慮を重ねる。人を見て、それに見合った判断と対応を重ねる。中々出来ることではない。
そして、市原さんは相撲を知り尽くした方である。
かつて野球中継で「野村スコープ」なる企画が有った。ヤクルトスワローズの監督に就任する前の野村克也がテレビ朝日で解説をしていた時に配球とコースを投球前に予測する、というものである。その予想は驚くほど当たり、視聴者の話題をさらったのだが場所中の市原さんはその相撲版を行い、これが見事に当たる。
現役時代が重なっていたことも有るのだが、力士の特徴や得意な技術を全て知っている。そして、彼らが対戦した時にそれらを踏まえてどのような展開になるかが予想する。つまり、店で彼がお客さんにしているのと同じことを相撲でも再現するのだ。市原さんは圧倒的な身体能力や特異なスタイルで相手を圧倒していた方ではない。相撲を知り、相手を知ることによって勝ちを引き寄せていた方なのである。
あくまでも個人的な意見だが、この技術が錦糸町のビルだけで共有されるのは惜しい。例えば彼の想いが成就し、教育の場に就いたとしたら私の楽しみは失われる。ジレンマではあるが、それを活かすには錦糸町の2階という場所はあまりに狭いとも思うのである。
この話を聞いた後、大き過ぎる十字架を背負った市原さんの次を書きたいと私は思った。だがもし私がこれを書けば、市原さんに対して快く思っていない方はそういう反応を示すことだろう。ご本人に飛び火する話なので、私は先日その是非を市原さんに相談した。すると「是非書いてください」という答えが返ってきた。驚くほど即答だったので逆に心配になった私は、ネガティブな感想を抱かれるリスクについて尋ねると市原さんはこう答えた。
「100人居たら99人が悪く思ってもいいんですよ。1人が興味を示してくれればいいんです。」
そうなのだ。市原さんは自分の立場を分かっているのだ。100人に愛されない自分であることを受け止め、分かった上で今の道を目指しているのである。厳しい目で見られていることを理解した上で、茨の道になることを理解した上でそれでも「するか、しないか」という選択肢で「する」ことを選んだのである。
こういう過去が有る方だ。ひょっとしたらこのチャレンジは徒労に終わるかもしれないし、その可能性は高いのではないかと思う。興味は示しても、もし2人候補が居ればリスクの少ない方を選ぶことになるのではないかと思う。店を運営しながら2年間勉強する。しかも、努力が無駄になるかもしれないリスクをはらむ中で。
私は決してそういう市原さんを認めて欲しいと言う気は無い。それを言うには、市原さんはあまりに大きな、大き過ぎる過去を持つ方だ。市原さんが覚悟している通り、ネガティブなイメージを抱かれることは彼がこの世に居る限り避けられない。
私は自分の感じたことは伝えたいとは思うが、意見を押し付けようとは思わない。ただ私が言いたいのは、もし市原さんの次の道に興味を示す方が居るのであれば、是非「スナック愛」に足を運んでほしいということである。
過去の様々なことを踏まえたうえで市原さんを見てどう感じるか。問題はそこだと思うのだ。
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