人は二十歳を超えて、相撲に戻る。「イケてるイケてない問題」で一時期離れた末に、相撲に回帰する「スモウリターン現象」とは?
最近相撲ファンの方とお話する機会が多い。
相撲のフリーペーパー「TSUNA」のオフ会であったり、自身が主催した会であったり、先日記事にも書いた「スナック愛」で偶然居合わせていた方であったりと、そのシチュエーションは様々なのだが、10代から60代まで、実に幅広い層の方と相撲談議や社会人としてごく普通の話をしたりと楽しませてもらっている。
このような会に私も参加することが有るのだが、自分の中でもある程度聞きたいことが定まってきている。好きな力士については絶対に外れが無い。何故ならばそこには想い入れが生まれるので、ちょっと掘り下げると永久に話が出来てしまうからだ。得意な形の話をしても良いし、ちょっとしたルーティーンや特徴的な仕草の話をするのも良い。自分が気づいていないことを目の前の方が知っていることも有るし、逆に私が気付いていることが相手にとって新鮮なことも有るからだ。
女性であればこの話題で人気なのが妙義龍と安美錦なのだが、どういう訳か少し恥ずかしそうに「ちょっとベタなんですけど」から話が始まる。相撲というマイノリティの趣味にハマった割には、行き着くところが人気力士というところに自己矛盾を感じているのではないかと私は考えているのだが、彼女たちは誰かと情報交換をしている訳ではなく、あくまでも一人一人がそれぞれの感覚で、気恥ずかしさを覚えているところが非常に面白い。
つまり、普段は皆一人で相撲を観ている訳だ。
相撲ブームが到来したとはいえ、人前では本能的にその事実を隠したくなるようで、会社や友人界隈では相撲ファンとしての繋がりを一から構築しようという方は少数派である。むしろその繋がりは、相撲が好きだということが前もって知れている、そういう方達の会合に自分が顔を出すことによって構築しているのである。
とはいえ、中心となるのは20代から30代だ。恐らくこうした会の性格上、顔を出すことに抵抗が無いのがこの層なのだと思う。それ以上になるとある種の躊躇いが生まれるのかもしれない。推測するにこれは、10代の頃からインターネットやSNSに触れているか否かの差ではないかと思う。
そして、この層に対して共通の質問をすることによって分かった、実に面白いことが有る。彼らの大半は子供の頃から今の熱量で相撲を見続けている訳ではなく、20代以降に戻ってきた相撲ファンだということである。
典型的なパターンはこんな感じだ。子供の頃は親や祖父母と一緒に、毎日のように相撲を観ていた。しかし、小学校に入るとスポーツニュースや中継をたまに見る程度になった。場合によっては全く離れているということすら有る。そしてその後、社会に出てから何となく相撲を観ていたら面白くてどっぷり漬かってしまったという具合である。
逆に、子供の頃から今に至るまで継続的に観ているという層は少数派だ。国技館に並んで200円の自由席のチケットを安く購入して観るなんていう少年時代を送った友人は、私は今のところ1人しか知らない。
子供の頃は相撲が好きで、思春期に一旦離れて、20代で戻って来る。
これを私は最近「スモウリターン現象」と呼んでいる。
しかしこれは一体何故なのか。偶然で処理するには傾向が明確なのである。そこで私は一つの仮説を立ててこうした層に聞いてみた。大半の方からは大体その通りだということで納得いただけたものなので、この場を借りてその仮説を展開したいと思う。
相撲というのは、実に分かりやすい競技だ。円の外に出す、もしくは相手を先に倒せばよい。相撲を知らない外国の山奥の先住民族の方にどちらが勝ったか聞いたとしても、ほぼ全員が勝敗を理解できていることだと思う。大男がぶつかり合って、豪快に倒す。このダイナミックさこそが相撲の魅力である。そしてそのメッセージをダイレクトに受け止められるのが、子供なのである。
魅力をダイレクトに受け止めるタイプの趣味として非常に近しいのが、鉄道である。電車に対して興味を示さない子供を、私は知らない。例えば、そろそろ2歳になる私の姪は近場の駅に1日3回足を運ぶほどの鉄子だ。家に居ても駅の方を差し、ブーツを履き始める。兄も兄嫁も、こうなったら諦めるしかない。
話は逸れたがこの分かりやすさ、楽しさは子供には伝わるのだが、少し成長するとその気持ちに蓋をしてしまう。つまり、「イケてるイケてない問題」である。
相撲は確かに分かりやすい競技であることは間違いない。
だが反面で「イケてない」と捉えられる側面も多い。
チョンマゲ。
肥満体。
廻し。
つまり、こういうことである。
幼児の年頃から少し年齢を重ねると、「楽しいか、否か」という判断基準から「イケてるか、イケてないか」という判断基準を優先するように切り替わる。野球やサッカーに興味が移るのは、大体この年齢である。相撲というのは楽しさ以上に「イケてるイケてない問題」に阻害されることが多々有る。
「巨人大鵬卵焼き」や輪島と貴ノ花がアウスレーゼのCMに出演しているような時代だとしたら、それでも力士に対するリスペクトが有ったので「イケてるイケてない問題」の傷は浅かったのだが、貴乃花の整体師騒動辺りからの世の中全体の力士に対するリスペクトの喪失は近年深刻化している。
相撲人気が回復し、相撲ブームを形成しつつある現在ではあるが、残念ながらリスペクトまでは回復していない。例えば今日のスポーツニッポンでは、宝富士の稽古に関する記事の冒頭で「マツコ・デラックス似と評判の新小結・宝富士」という記述が有った。おどけの記事ならまだしも、普通のニュースの接頭句に使う言葉ではない。悲しいことに、スポーツ紙の相撲担当記者までがこの状況なのである。一般ファンが「イケてるイケてない問題」を引きずるのは致し方ないことなのだと私は思う。
だが20代になり、一通り「イケてる」ジャンルを通過した後で、ふと相撲を観る。すると、とても面白いのだ。「イケてるイケてない問題」で避けていたあの相撲が、何だかよく分からないけど面白いのである。家に居る時は大相撲中継にチャンネルを合わせ、スポーツニュースで上位の結果に注目する。贔屓の力士が出来て、スポーツナビで結果を見る。こうなったらもう、完全に相撲に戻って来たも同然である。
思春期の頃は「イケてない」という解釈だったかもしれない。だが、年齢を重ねるとそうした偏見から解放される。表層よりも、本質。恐らく人生経験や社会経験がそうさせるのではないかと思う。感覚的なものでも世の中のブームでもなく、自分の価値観で確信的に相撲を選んでいる。だから「スモウリターン現象」で相撲に戻ってきた方は、力士のファンである以前に相撲ファンなのだと私は思う。
ブームで創出される新規ファンは、定着率に課題が有る。何故なら、世の中の楽しいムードに載せられているという側面は否めず、自分がその競技や文化を選んでいるとは言い難いからだ。だからこそ、ブームの期間に「ニワカ」の次元から自分が相撲を選ぶという次元に引き上げる必要が有る。そうでなければ次のブームに彼らは移ってしまうからである。
だが、「スモウリターン現象」で戻ってきた方達にそれは無い。仕事や私生活で多忙で、一度は離れることが有るかもしれないが、相撲の魅力を理解しているので、いつかはまた戻って来る。そこが重要なのではないかと思う。
「スモウリターン現象」は2015年だからこそ生まれた、相撲ファンの最新形である。厳しい時代や価値観の乖離という問題を超えて相撲に戻ってきた方達全員に、私は敬意を表したい。
◆緊急告知◆
7月25日(土)16:00から両国周辺でオフ会を開催します。参加を希望の方はプロフィール欄を参照の上、メールにてご相談ください。場所や費用などをお伝えいたします。なお席には限りがありますので、お断りすることもございます。予めご了承ください。
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