稀勢の里と日馬富士。一瞬の勝負を、見逃すな。

「なんで俺こんなに稀勢の里のことが好きなのかな。ゲイかな…。お互い隠すことなく力と力、心と心を出すことができる」
「一人のファンとして応援している。あいつ(稀勢の里)の相撲を見るとドキドキする」
そう稀勢の里を評するのは相撲ファンの有名人ではない。そう。横綱日馬富士その人である。以前も記したが、有名な話だが大事な話なのでもう一度書きたい。いや、何度でも書きたい。何度書いても味わい深い。何度読んでも微笑ましい。日馬富士がいい感じで飛ばしていて、つい笑みがこぼれてしまう。
彼らのいいところは、決して馴れ合わないところである。
最近のスポーツ界では横の繋がりを持つ方がむしろ多いので、ツイッターやFacebookでライバルチームのアスリート同士がニコニコ笑って写真を撮るなどということは普通のことだ。こういうレベルで慕っているのだとすると大抵の場合接点を持った結果、仲良くなってしまう。そういう時代なのだ。
だが、彼らはそれをしない。日馬富士は稀勢の里の一人のファンであると同時にライバルだからである。リスペクトしながらも、アスリートとして高め合う関係。そこに緊張感を持ち続け、最高の勝負を見せる。
これほどまでに敬意を表しているのであれば、絶対に仲良くしたいはずなのだ。それが咎められる時代でもないのだから。相撲協会のツイッターですら力士同士の横の繋がりを積極的に見せているのが2016年という時代である。
そこには二人の美学が有る。
哲学が有る。
そして、ライバル心が有る。
そういう二人が、事実上の優勝決定戦と言っても良い大一番を迎える。互いが全身全霊を賭けた、かなり際どい勝負になることは間違いない。
だがこれまでの傾向から言えるのは、どちらが勝っても一方的な内容になるということである。
これほどまでに対抗心を燃やす日馬富士が居て、当然意識しない訳の無い稀勢の里が居る。そして彼らの対決は、正真正銘の真っ向勝負なのだ。白鵬との対戦だと気にしてしまうような、何かが起きるのではないかというような不安も無い。そういう意味ではこちらの方が今やゴールデンカードと評してもいいのではないかと思う。
真っ向勝負であるが故に、互いが自分の相撲を取りに行く。
左を差せば稀勢の里。
立合で起こせば日馬富士。
熱戦を期待すると拍子抜けするかもしれない。互いが高め合い、闘いの中で強くなるような取組ではない。
エンターテイメントとして観た時、勝者と敗者のコントラストが激しい一戦になることが予想される。
勝った方が圧倒的に強く、負けた方は完膚なきまでに叩きのめされる。敗者が弱く見える一番でもあるわけだ。良い部分をぶつけ合った結果、素晴らしい試合になるのはプロレスの世界の話だ。好勝負というのは良い部分を引き出しあった結果なのである。
稀勢の里が負けたとしたら、恐らく綱取りに相応しくない力士と誰もが思うことだろう。そして日馬富士が負けたら、相撲というのはやはり体なのだと思うことだろう。それが、俺とあいつの一大決戦なのである。
勝負は、一瞬で決まる。
一瞬の勝負を、見逃すな。
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