川崎フロンターレサポーターの大相撲観戦に、再度感銘を受ける。
今日は、先日朝活の講師を務めたイベント「読ラボ」で、大相撲の観戦イベントが有った。私はそのナビゲーター役ということで館内の案内と、取組解説のまねごとを携帯アプリを使いながら行った。
土俵上の取組もさることながら、土俵以外で気になることについても相撲を観ない観点だと目に入ることが多いので、視点を拡げて普段あまり気にすることの無い優勝額やどすこいFM、懸賞幕を持って待機する呼出にも言及していると、そう言えばと気付いたことが有った。
今日は、川崎フロンターレサポーターの方が来ていたのだ。
川崎フロンターレというサッカーチームのサポーターが両国国技館に足を運ぶ。知らない方は何故と思われるかもしれないが、同じ川崎には春日山部屋という相撲部屋が有る。新田ボクシングジムも絡めてファンレベルでも、チームレベルでも交流しているのである。
例えば、等々力競技場での川崎フロンターレの試合では、春日山部屋のちゃんこが出店している。等々力に行けば分かるが、この屋台は長蛇の列を成しており、誰もがその存在を知っている。そして、その美味しさも知っている。その交流はここ数年という類のものではなく、根付いたものだからこその列であると言えよう。
その交流の一環として、川崎フロンターレのサポーターは春日山部屋の力士の闘いぶりを見るために毎年9月になると国技館に観戦ツアーで足を運んでる。椅子席の一角には国技館では見慣れない、青黒のユニフォームや浴衣に身を包んだ方々が数十人規模で居る。
そういえば、今日はその日だった。
3年前にその交流について知り、彼らが春日山部屋の取組を終えた後も歓声を挙げ続ける様子を見て大変感激したことが有る。バレーボールの世界選手権に於ける、全く別のジャンルのファンの方のマナーの悪さ、観戦態度に関する苦言を知っていただけに、目当て以外に対してもリスペクトを払い、全力で楽しむ姿勢に当時私は感銘を受けた。そして、彼らが愛する川崎フロンターレというチームに興味を抱き、ゴール裏に潜入し、更にはユニフォームを作った。今でも時間ある限り結果を追い掛け、等々力競技場にも足を運んでいる。
そんな彼らが、また来ている。
春日山部屋はこの1年で騒動が有り、そもそも存続の危機に瀕していた。そういう状況の中で以前と同じように存続し、そしてファンレベルでの交流が続いている。そのことが相撲ファンとして嬉しかった。
1年経てば、今の常識が非常識になることも有る。ツアーを組んで、数十人が来ている。それだけで特別なのである。見慣れた日常も、実は非日常なのかもしれない。そんなことを考えていると、春日山部屋の水口の取組が行われた。勝ち名乗りを受ける水口。
そこで、私は一つの変化に気付いた。
川崎フロンターレのサポーターは、ただ拍手をしていたのである。
実は彼らは春日山部屋の力士が勝つと、声を揃えて一つの応援を行っていた。コールや手拍子のような、いわゆる集団応援に類するものである。サッカーで言えば、それは当然の行いだ。むしろ集団で応援することこそ、彼らの流儀である。
川崎から応援しに来ている。そのことを伝えたいのであれば、川崎フロンターレのやり方で伝えるのが一番早い。自分を応援してくれる人が居る。力士達もそれに気付くだろうし、その行為は嬉しいはずだ。
だが、ここは両国国技館だ。集団応援は観戦約款に於ける禁止事項である。更には、集団応援に関しては相撲観戦の粋を逸脱する行為という見方をする方も多く存在している。私自身、そう感じている一人だ。
出来ることならそう伝えたい。丁度サポーターの方との交流が出来たので、機を見てそれを伝えようと心に決めていた。だが、彼らの口から出たのは、意外な言葉だった。
なんと、彼らは相撲協会に対して事前に観戦マナーについて事細かにヒヤリングしていたというのである。観戦上許されることと許されないことを確認した上で、今までも応援していたというのだ。いわば、集団応援は相撲協会のお墨付きを得たうえで行っていたということである。
私はそれを聞いた時、そこまで考えて来ているのかと驚いた。と同時に、禁止事項を許可した相撲協会に疑問を感じた。
最初の段階でサポーターの方達に説明出来ていれば、禁止事項は行われなかった。それが禁止事項であるが故に、そして大相撲の応援としては異端だったがために、彼らに対して批判的な見方をする方も多く居た。事実、批判的なことを言われたことも1度や2度では無かったのだという。
相撲協会のせいにすることは簡単だったと思う。しかしそうした言い訳とも取れるような行為を彼らはしなかった。畑が異なる世界で批判を受けることに混乱しながら、取るべき道を考えた。
確認した上でお墨付きを頂いたことに対して、批判を受ける。私がこれをされたら、もう何が正しいのか、何が間違っているのか、全く分からなくなるはずだ。ましてや、そのスタイルは自分達のアイデンティティである。批判されたから止めるというのもまた、違うのだ。
だから私は、小さな世界で1年に1度物議を醸しながらも自分達のスタイルで応援する彼らに複雑な思いを抱くことになると思っていただけに、今回の変化は意外だった。そして、素直に嬉しかった。
その決定には、恐らく葛藤が有ったと思う。相撲ファンからすると小さなことかもしれないが、明確な説明の無いまま自分達の流儀を否定されたとしたら整理のしようも無いと思うし、観戦に嫌気が差しても責められないと思う。大相撲は小さな世界だ。そして、明記されていないマナーやルールが多く存在している。ファン歴数年では、おおよそ把握しきれないほどである。そしてそれは、誰も教えてくれないことだとしたら、どうだろうか。
難しい世界の中で、自分達が変わることを決断した。それは、ファンとして鏡と言っても良いことだと思う。大相撲に対しても誠実に向き合った彼らに感謝したいし、その姿勢から学ぶべきことが多いと思う。
今日もまた、フロンターレサポーターから教えてもらった。また、等々力競技場のゴール裏に行こう。着るのは伊藤宏樹選手のユニフォームか、それとも着物か。それが問題だ。
◆募集◆
公傷制度について意見を募集します。
期限:9月22日
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問1:公傷制度は必要か。またそれは何故か。
問2:問1で必要と答えた方は、どのような制度にすべきと考えているか。
(具体的な案があればそれも添えて)
問3:怪我を抑止し、発生後も復帰できるようにするためには、どうすれば良いか。
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問1:公傷制度は必要か。またそれは何故か。
→必要。ケガした力士の相撲は金をとる価値がない
問2:問1で必要と答えた方は、どのような制度にすべきと考えているか。
→休場による番付落下の下限を設ける(例:幕内力士はいくら休んでも十両に落ちない)
・どのケガが公傷に値するか、審判部が基準を明確にする
・親方が医師の診断書とともに審判部に申請し、公傷と認めるのは審判部
・公傷で休んだ場合はその分の力士の給料は減額
・大関はカド番にしない
問3:怪我を抑止し、発生後も復帰できるようにするためには、どうすれば良いか。
→本場所を年4場所にする
・名古屋・九州は本場所をやめ、巡業地にする
・巡業を増やす(稽古を増やすという意味で)
→本場所に休養日を設ける
・初日を土曜にし、10日目終了後の火曜を1日休養日にする