終盤連敗の豪栄道への「二つの期待」。

2番手に2差を付けてからの、連敗。普通に取れば負けないとまではいかないが、勝つ確率は高い相手の連敗。
信じられない、という訳ではない。そういう絵を想像できなかったとまではいかない。カド番の多い大関だ。終盤の連敗ではなく、これまで序盤の連敗ですら目の当たりにして来た経緯がある。
稀勢の里ほどの落胆ではない。素晴らしい可能性を見せた後で、格下相手に信じられないような内容で敗れた訳ではない。そして、そういう落胆の歴史を積み重ねてきた訳でもない。
だが、観たくない光景だった。
豪栄道の連敗は。
期待値を下回る相撲を目の当たりにし、怪我をする力士を目の当たりにし、これまで楽しかった相撲観戦は、今場所に関しては相対的に楽しみきれていない実情がある。
怒りの矛先を相撲そのものや力士に向けることは簡単だと思う。誰かを批判し、溜飲を下げることによって不満を解消する。最近は手軽にこういう意見を発信できてしまうからこそ、無責任に批判する傾向も強まっている。
そういうメディアや一般人達の発信に不満はある。だが、期待していたものとは異なる相撲に落胆もしている。だからこそ、私は綺麗な結末を観たかったのだと思う。そして、その結末が揺らいできていることにダメージを受けているのだと思う。
そしてあと2日の中で、思い描いていた綺麗な結末からはほど遠い現実を突きつけられる恐れが出てしまった。この現実を目の当たりにすることで、若手の活躍や幕下力士の奮闘に目を向けることで満たされようとする自分がいる。
普段であれば、例えば稀勢の里が期待外れだったとしても、白鵬や日馬富士が素晴らしければ諦めが付く。仮に物議を醸すような取組があっても、そこに凄みがあれば好き嫌いは別にして満たされた部分は出てくる。
下位の相撲には下位の相撲なりの楽しさがあり、満たされる部分もある。だが、下位はやはり下位なのだ。幕内総合優勝を賭けての闘いが素晴らしいものでなければ奥底で満たされないものが出てきてしまうことに、今場所私は気づいてしまった。
豪栄道への期待は、綺麗な結末を観たいという願望の表れであり、奥底で満たされたいという願望の表れだった。二つの願望を体現できる力士が、もはや豪栄道しか残っていなかったのである。
11勝4敗の優勝に、私は何を思うのだろうか。ここからの連戦で2連勝すれば、土壇場での強さに酔いしれることができるのかもしれない。
豪栄道は今優勝争いをしているが、1年前は全勝だった。優勝の懸かる一番で、絶体絶命の場面で首投げが決まったように、神がかっていた。何かに取り憑かれたように、素晴らしい力を15日間発揮し続けたのである。
今は、違う。
今の豪栄道は、神がかっていない。彼を神はここまで味方していない。そういう普通のコンディションで、豪栄道は優勝争いの単独トップに位置している。
そう。
実に人間臭い優勝争いなのである。
ここから先は、豪栄道物語だ。
豪栄道物語は、9月場所を救うのか。
いや、救ってほしい。
自分のために。
大相撲のために。
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終盤連敗の豪栄道への「二つの期待」。” に対して3件のコメントがあります。

  1. bobohands より:

    ”人間”がガチな相撲をしているならば必ず毎場所感動的になるわけがないと思いますが‥
    怪我が慢性化は巡業が多くて治す時間がないからだとしても
    怪我が起きる発端はみんなガチな相撲をしているからでしょう?
    ガチだからこそ、怪我人が多くてみんな休んでしまう場所もある
    ガチだからこそ、横綱、大関だって思わぬ負け方をすることもある
    しかし、だからこそ今場所のように毎日主役が変わって楽しめるのではないでしょうか?
    最近のニュース、ブログ、コメントを見ていると
    皆さんが力士に何を求めているのかわからなくなるときがあります‥

  2. より:

    内容が悪い故に物語がなければ割りに合わない、という意味だと解釈しました。
    はっきり言って今場所はここ数年でも最低の場所だと思っています。
    怪我人もさる事ながら、上位陣の情けない相撲、期待された若手の尻すぼみ、このまま15日が終わってしまうのは余りにも寂しい場所。
    日馬富士でも豪栄道でもいい、何かこの場所に意味があったと感じさせてくれる事を期待して残り2日を見届けたいと思います。

  3. (なし) より:

    さすがな冷静な分析と、珍しくオーバーラン的なパトス。本当の好角家は皆そう思ってるみたいな。
    その上で、ですが、これまで稀勢の里中心に「過剰な物語」(そこには白鵬らの過剰な貶めも)の氾濫があったあとでの、物語が紡ぎようもないグダグダな場所があった、という感じで納得したい私です。ただ、このまま、白鵬も尻すぼみ、稀勢の里に至ってはしょぼいまま引退という、グダグダの継続は困りますけどね(苦笑)。
    12-3で豪栄道が優勝しても、11-4の混戦(含む決定戦)で横綱(と協会)の体面保つように日馬富士が優勝しても、誰も感動しないグダグダ場所。そういうのも、あっていいかと。感動と物語(特にキセがらみで、実力不相応な押し付けがましいそれ)を突きつけられてきてる身として、かえって勝負事はそう簡単には「物語」になれないよって感じで、こういう場所も何年か1回はありかなと思います。キセ物語に辟易としてる身なので、そう思いますが、いかがなもんでしょ?

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