垣添に見る、元関取にとっての幕下。

幕下を見続けていると、
大体の力士が中卒高卒エリート、大卒エリート、
外国人エリート、そして何も持たぬ者という
カテゴリに分けられることが判る。
エリートにとっては登竜門。
持たざる者にとっては晴れ舞台。
立場としては両極端なのだが、
どちらにとって幕下が重要な意味を持つ場であることは
間違いない。
互いが互いのバックボーンをぶつけ合い、
それぞれがそれぞれに足りないモノを補完するための場所。
それが幕下なのである。
不完全な者同士の対決は
予測不能なカオスを呼び、関取の相撲を観慣れた
普通の相撲ファンに新鮮な驚きを与えてくれる。
決め切れない力士。
引き出しの少ない力士。
安易に逃げる力士。
彼らは相手に上回られるから負けるのではない。
そう。
自らに負けるのである。
だが、そんな試行錯誤の場に於いて、
全く異なる意味合いを以って土俵に臨む者が
幕下相撲には存在する。


前述の通り、幕下は登竜門的な位置付けであるために
ほぼ全ての力士が一般的な知名度を持たないのであるが、
番付に目を通してみると「おや?」と思うことがある。
つまり、かつての関取が存在するのである。
だが、元関取が幕下で現役を続けることは
さほど大きな意味を持たない。
幕下上位、私が「シングルプレイヤー」と評する
一桁番付の面々はと言えば、その多くが
既に十両を経験している。
だが、彼らはほぼ例外無く十両に定着し切れないが故に
成長過程、もしくはジリ貧になって
幕下上位と十両を行き来しているわけである。
生き残りを賭けたサバイバル。
彼らは彼らの身の丈に合った戦いを繰り広げているのであるが、
私が今回語りたいのは、十両に定着し切れない
幕下力士のことではない。
既に一般的な知名度がある元関取のことである。
今場所であれば、こうした力士は一人しか該当しない。
そう。
垣添である。
鋭い突き押しを武器に、
三役に定着していた時期もあった、かつての実力者。
ツボにはまれば大関横綱とも対等に張り合い、
土俵を盛り上げてきた功労者。
そんな垣添が、今幕下で現役を続けている。
全盛期は筋肉の塊の上に脂肪の鎧を纏った、
これぞ力士!と言うべき肉体を誇っていたのだが、
今はその面影を残すばかりである。
筋肉の塊はその神通力を失い、
脂肪は重力に勝てず垂れ下る。
なまじ外見が同じなだけに
全盛期との比較をするが故に
老いから目を背けることが出来ない。
見た目からして既に過去のそれではないことを
否応なしに自覚させられるということは
悲しいというか哀れというか
どう向き合えばいいのか判らない感情に
囚われることになる。
そしてその感情は、彼の相撲を観ると
更に複雑なものになる。
続く。

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