垣添に見る、元関取にとっての幕下。3
今場所の垣添の相撲は、誰の目にも
全盛期のそれではない。
むしろ衰えが露見し、かつてのイメージを
想像しているとその違いに衝撃を受ける。
身体が衰えているのは仕方が無いとして
垣添の命たる出足の推進力が失われるというのは
力士生命を脅かす一大事である。
突き押しで優位性を保つということが
如何に彼にとって重要な要素であったかということは
幕下であっても毎回出足を止められ、
1勝5敗という散々な成績であることからも
判るであろう。
ここで誰もが思うのが、
「何故これほどの地位を築いた人が、
憐みを持たれながら幕下で現役を続けるのか」
ということである。
以前私は元関取が幕下で相撲を取る理由として
「死に場所を探している」という言葉で評した。
つまり、親方に成れるでもなく
相撲を諦めるでもなく
何となく現役を続けている状態に陥っており、
そこには向上心も夢も何も無いのだ。
トップとは実力差が歴然としており、
相撲を取ることで自分自身を傷つける。
でも、傷つけようとも相撲を取り続けるしか
選択肢の無い自分。
そして、そこそこの成績を残せるものの
時と共に番付はジリジリと下がっていく。
あとは自らの手で力士としての死、
すなわち廃業(敢えて引退とは言わない)の道を
選ばざるを得ない状態に陥るのである。
だが、垣添は彼らとは違う。
既に現役時代に類稀なる実績を残し、
記録にも記憶にも残る存在として
やることはやり遂げてきた、
そんな力士である。
実績があればあるだけ、
その存在は自分だけでなく、ファンのものにも成る。
それ故、力が衰えれば周りからも色々と言われる。
晩節を汚すな。
早く指導者になれ。
彼のことを想いながらも、
結局は彼に対する自らの願望を
押し付けているにすぎないのである。
だからこそ、押し付けの数が多くなれば
そこに自分の意志は働きにくくなる。
また、周囲の意見が自分の意見として
同化するということも有る。
しかし、かの輪島功一はこう言った。
「負けずに引退する奴は弱い奴だ。
負ける自分を恐れているんだよ。
チャンスが有る限り、それに挑戦し続けるのが
プロっていうものなんだ。」
実績を残せなくなることは、怖いことだ。
これまで期待してくれた人を落胆させてしまう。
すると、今まで自分に付いていた人が離れてしまう。
もしくは、今まで好意的だった人から辛辣なことを言われてしまう。
今までの自分を完全否定するかもしれない
そういうリスクを負いながらも真剣勝負の場に身を投じ、
そして全盛期とは違う自分にもがき苦しみながら
成績が伸びないことに対しても苦闘する。
それでも、挑戦することを止めない。
給料が出なくても、
誰も自分を支持してくれなくても、
大部屋に戻っても、
垣添は最後の戦いを挑むのである。
こんな美しい話があるのだろうか?
ドブネズミみたいに美しくなりたい、
とは誰にでも言えることである。
だが、実際にドブネズミになることが出来るのは
限られた人間である。
私はこうした高貴な精神を持った
愛すべき相撲馬鹿を、これからも追っていこうと思う。