Number webに『2018年、大相撲の歴史が変わった。押し出しが寄り切りを初めて上回る。』を寄稿しました。
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データは3種類存在する。
2018年は、序の口からすべての決まり手の中で押し出しが寄り切りを上回った、史上初めての年だった。
今回はNumberwebでそのことが持つ意味について記事を書いた。記事はこちら。
このデータを知ったとき、読者の方は何を思うだろうか。
データというのは3種類存在すると私は考えている。
一つは「へー」で終わるもの。
もう一つは、「ふーん」になるもの。
そして最後の一つが、「おおっ」になるもの。
実は大相撲の世界において記事になっているのは大抵「ふーん」のものだ。だから、データは消費されるだけである。それはそれで楽しい。数字を読むのは楽しいことだ。それもまた、スポーツの楽しみ方の一つだと思う。
だが、私はデータを通じて楽しみたいわけではない。
今回の記事は、意味が分かれば「おおっ」になるものだが、意味に気づかねばならない。気づく人が居なければ、単なる数字で終わってしまう。
常に問題意識をもって相撲を見ていれば、仮説が出てくる。仮説を裏付けるための材料としてデータは有効だ。データは事実を導き出すからだ。事情通つを元に説明されたとしたら、反論のしようがない。
私は、取材をしないスポーツライターであり、相撲ライターだ。スポーツナビでブログを書いている時代はファンの感情に寄り添う記事を書いていればよかった。当時はそういう方向性で支持を集めてきた。だがそのような記事は個人ブログで書くべきことだ。
だから私は、データに活路を見出した。
相撲とデータ。
大相撲ではどういうわけか、データ分析をしている人が殆どいない。
データを集めている人は居る。だが、集めるところでとどまっている。だから、大相撲の見方は旧来の角度からのみで終わってしまっている。
それが何を意味しているかと考えると、本当は評価されるべき進歩や懸念されるべき衰え、そして大相撲全体の傾向が見落とされているのである。
データ自体は集積されているのに、向き合っている人もいるのに、分析をしている人が居ない。おまけに分析を通じた見解を示すと相撲関係者、特に学生相撲の関係者からの反発が出てくる。
しかもその反発の大半が、理屈ではなく感情論によるところで非難してくるからタチが悪い。彼らに事実は通用せず、力を誇示してくるからこそ及び腰になる。取材対象からそっぽを向かれてはどうにもならない。私が相撲を飯のタネにしているのであれば同じ判断をしているのではないかと思う。
相撲の世界においてデータ分析するのは、本当に危険なことだ。ブログ時代からそれを痛切に感じている。ただ、ここに来て、伝え方を工夫し、多くの方に受け止めていただきやすい形が出来てきたと思う。それは、Numberwebという媒体に掲載していただくことで養われたことだ。
そんなわけで、寄り切りが押し出しを上回ったことの意味を今回の記事を通じて味わっていただきたい。
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