32歳の相撲原体験。前篇
既にこのブログを始めて半年が経過したのだが、
基本的に相撲の評論しかしないため
年齢についてのご質問を頂いた。
確かに考えてみると相撲しか論じていないので
私という人間が見えにくい部分が有ったのだと思う。
単に論じる機会が無かっただけではあるのだが、
年齢を答えるだけでは面白くないので
相撲との出会いを論じる中で時代を感じて頂ければ
幸いである。
相撲を観始めたきっかけは、父の影響である。
我々の世代だと、親世代はいわゆる
「巨人大鵬卵焼き」
で育っているため、生活の中に相撲が存在していた。
特に特殊なものを観ているという印象を抱かないまま
そこに在るものとして相撲を観始めたというところである。
当時は絶対的な一人横綱として千代の富士が君臨しており、
当時の人気No.1アニメ キン肉マンでも味方の
正義超人の中にさえ彼をモチーフとしたウルフマン
(アニメではリキシマン)が居る有様であった。
ちなみにウルフマンは正義超人としては最下層の実力で、
当時流行してたスプリングの玩具をあしらった
悪魔超人:スプリングマンに身体をバラバラに
されてしまったということを付け加えておく。
だが、野球で言うと当時4年連続最下位のヤクルトを
応援するような感性を持っていた私は、
一番強い千代の富士を応援する訳ではなかった。
そして、父が鹿児島出身でかつ贔屓だったことも有り
当時隆盛を誇る井筒部屋のエースとして
横綱大関に対して時に一泡吹かせていた
逆鉾のファンになったのである。
しかし、時に一泡吹かせるとはいえ、
基本的には横綱や大関には勝てない。
ましてや当時の相撲界は千代の富士が毎場所のように
優勝していたのである。
そう。
本当に勝てないのだ。
加えて、大関に対してもほぼ勝てない。
当時は千代の富士が強いだけでなく、
大関も朝潮以外は相当なハイレベルだったのである。
保志。
大乃国。
旭富士。
北天佑。
そして、小錦。
とにかく強い。
逆鉾目線で見ると、彼等には全く勝てる気がしないのである。
大関横綱にほぼ全敗という有様なので、
勝ち越しても8勝。
10勝など夢のまた夢なのだ。
故に逆鉾ファンとしては如何に同じ関脇の
琴ケ梅などを相手に星を落とさないか?
という観点でやきもきしながら観ていたものだ。
逆鉾サイドから仰ぎ見て大関の大きさを
痛いほど感じていたため、未だに大関というのは
半端じゃなく強いという印象を抱いている私。
そして、そんな大関すらほぼ勝てない千代の富士。
弟が千代の富士から凄まじいしごきを受けたという
北天佑がたまに勝つだけという有様である。
今年で32歳の私にとって、横綱と大関の強烈な強さという
トラウマのような印象を植え付けられたことこそ、
初めての大相撲体験なのだ。
そんな私が唯一シンパシーを抱いた実力者。
唯一千代の富士とも対等に渡り合えるのでは?
と思わせた一人の才能溢れる力士に、私は夢を見た。
続く。
ブックマークして閲覧させてもらっている、貴殿と同じ今年32歳の男子です。
私も幼少のころ、親に大阪場所を2、3度連れて行ってもらい、スポーツ新聞の星取表を壁に貼り、毎日つけていた程、相撲好きでした。
物心ついたのは、隆の里が引退した場所なんで、もろに千代の富士全盛時代です。出羽の花はなんであんなに弱いんだろう、と子ども心に思っていました。
私は北勝海が好きで、塩を持って反転するときの、ロボットみたいな動きが好きでした。
その頃も、親父が好きだった、関脇まで務めた赤城山という力士が長く幕下で取っていたのを注目していました。
あの頃は、純粋に相撲が好きで観てたのに…と思います。
33歳になる私の私の相撲原体験、と云うよりも原ヒーローは、なんといっても「益荒雄」なのです。実力者と云うほどまだ上り坂のうちに怪我であっという間に表舞台から去ってしまいましたが。
あの懸命で、トリッキーと云えるまでの粘り、発想力。あの面構え。素早さ。「白いウルフ」。元祖ウルフをもあっというまに圧倒してしまったあの驚き。双羽黒を寄って寄って寄って・・寄り切り・・・小錦や大乃国をけたぐりで鮮やかに・・・。
でもそのなかにはかなさというか危なっかしさと云うか、いつもどきどきひやひやさせるものがあって、それが彼を完璧に、僕の正義の味方にしてしまいました。(ほんとうに怪我をしてしまい、関脇に上がったにもかかわらず計二十場所しか幕内在位がない。ほんとうに繊細だったのです)
あの「鮮烈」な印象は、間違いなく私のものごころついた最初で最後の完璧なヒーローとして存在し続けています。
なるほど、興味深く読ませていただきました。
32歳とのことですので、私よりやや下、ということになりますが、「同世代」で括れる年齢差だと思います。ということで、私とかぶるところがやはりあるなぁと。
私のしっかりとした記憶で残るところは、やはり昭和60年代千代の富士時代。
北の湖引退はなんとなく覚えているけど、北の湖がどういう力士だったか、と問われるとリアルでの印象は全く語れません。若島津の全盛は知らない。悪いいい方をすれば若島津は「弱い大関」でしかありません。そんな世代です。むしろ、そのひと世代後の、北勝海、双羽黒、大乃国、旭富士といったところからでしょうか。
後篇があるとのことで、そちらを楽しみにしたいとは思いますが、最後に書かれていた、まだ名前が伏せられている力士。もしかしたら、私も同じかも知れません。
昭和の終わり。私は「あの力士」に見せられ、本格的に(?)大相撲の世界にはまり出しました。
後篇を読ませていただいて改めて感想を述べさせていただければな、と思っております。
わたしも逆鉾好きでした。もろ差しが得意で、というか、もろ差しにならないと...弟の寺尾みたいに人気はなかったものの地味に強かったですね。
「あの力士」は北尾?益荒雄?南海竜?この時代の力士の名を挙げるだけで楽しいですね。
コメント失礼します
いつも興味深く読ませていただいております。
千代の富士は、本当に強かったですね。
初優勝したを決めた優勝決定戦で、北の湖がひざから落ちたのを見て、北の湖は20回優勝してましたが、北の湖時代が終わるかもと思ったものです。
さて、最後にある
「そんな私が唯一シンパシーを抱いた実力者。
唯一千代の富士とも対等に渡り合えるのでは?
と思わせた一人の才能溢れる力士に、私は夢を見た。」
この力士は誰か・・・
私は、琴錦、安芸ノ島。琴ケ梅など伸び悩んでしまった力士達?、もしかしたら、北尾などなど、懐かしくもあり、千代の富士に対抗できた力士はいたかななど、記憶をたどっています。
後編が楽しみです。