32歳の相撲原体験。中篇

皆さんにとっての、初めての相撲体験とは
どのようなものだっただろうか?
前回語っての通り、私の場合は
逆鉾視点による横綱大関陣の圧倒的な強さに他ならない。
中でも当時の土俵の中心たる千代の富士の
凄みと言ったら、普段は逆鉾視点の私ですら
大関側から仰ぎ見る有様なのである。
脱臼で休場する以外の場所は、
千代の富士を絶対的な王者として
全員が包囲網を築くという時代が5年余り続いた。
大乃国は勿論、北天佑も小錦も旭富士も敵わない。
そんな中、31回の優勝を誇る千代の富士に対して
全盛期に唯一対抗できる存在に対して、
次第にシンパシーを抱くようになったのは
ごく自然な成り行きである。


北尾光司。
大乃国が9勝23敗、旭富士が6勝30敗、小錦が9勝20敗。
そんな横綱昇進後の千代の富士に対して
通算成績6勝8敗と互角の成績を挙げているのは
彼だけである。
力士の中でも長身で筋肉質の北尾は、
力士というよりはアスリートに准えた方が適当で、
いわゆる力士然とした存在と面すると
その特異さが際立つのだ。
千代の富士もアスリートに准えるべき力士だったが
190センチを超える北尾はスケール感で更にその上を行く。
体格を活かしたパワー溢れる取り口は
普通の力士とは一線を画しており、
ダイナミックに圧倒したり、
圧倒的に不利な姿勢から逆転したりという
北尾にしか出来ない相撲こそ、彼の大きな魅力だった。
そんな北尾を象徴するエピソードは
何といっても角界最重量力士の小錦を
真正面からサバ折りで破壊したことである。
千代の富士すらパワーで圧倒し、
当時「黒船襲来」とまで恐れられた小錦。
通常であれば態勢をいなして重心を崩し、
前への推進力を引きで倒すというのが
対小錦のセオリーだったのだが、
恐れを知らないのかそれとも無心なのか、
北尾は本来小錦に対して一番やってはいけない
真正面から力でぶつかるという戦法で挑んだ。
四つで優位に進める北尾。
しかし四つでいくら有利な態勢と言っても、
3トン近い小錦を寄り切ることは
アンドレザジャイアントをボディスラムするほど
困難なことであることを意味する。
が、動かない山をも力で押し込む北尾。
一番有利な右四つの態勢から小錦を徐々に動かし、
勢いを付けて土俵際まで追い込む。
徳俵に足を掛けて、踏み止まる小錦。
ここから事件が起こる。
普通は徳俵に足が掛かった状態からだと
相手の推進力が一旦キャンセルされるので
態勢が立て直されるものなのだが、
北尾はこの態勢から更に攻撃を加える。
踏み止まる小錦に、上からのしかかったのだ。
崩れ落ちる小錦。
勝ち名乗りを受ける北尾。
相撲の歴史の中でも最強クラスのパワー系力士に
パワーで挑み、完勝した北尾。
未完成の今でさえ絶対王者の千代の富士に
五分で渡り合う上に、小錦を破壊する意味の判らない男に
夢を観ないファンは居ない。
しかし、そんな夢も長くは続かない。
続く。

32歳の相撲原体験。中篇” に対して 3 件のコメントがあります

  1. 融和 安志 より:

    >千代の富士を絶対的な王者として全員が包囲網を築くという時代が5年余り続いた。
    「全員が包囲網を築く」という記述が事実に反することは、例の「板井の告発」により明々白々になっていたと思いましたが・・・。
    「大乃国やその他若干名を除く、ほぼ全員を取り込み、絶対王者として君臨した千代の富士時代が5年余り続いた」と記述すべきだったと思います。
    前後の文脈からみても、皮肉やジョークとも思えず、すこしびっくりしています。

  2. Nihiljapk より:

    >融和 安志さん
    裏側としてそういうことが有ったのかもしれませんが、
    少なくとも成績を見れば千代の富士の時代であり、
    それに挑む大関以下という構図だったことは間違いありません。
    ちなみに当ブログはそうした裏側を踏まえたうえでの
    時代考証まではしておりませんので、ご了承ください。

  3. 夕日 沈無 より:

    >成績を見れば千代の富士の時代であり、それに挑む大関以下という構図だったことは間違いありません。
    前半は間違いありませんが、後半は形式的・建前的にはそうですが、実質的には違うというべきでしょう。
    大乃国以外のほとんどの横綱・大関その他の上位陣が、千代の富士の「ショービジネス」の「演者」であったいうことは、今となっては紛れもない事実ですから。

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