【ニュース】琴欧洲、千秋楽休場に思う。
業務多忙につき、数か月書けなかった間に
相撲の世界も色々起きている。
以前ネタにしたエジプト人力士:大砂嵐の序の口優勝や
6大関誕生に伴うクンロク率向上に対する世間の風当たり、
そして十両獲りを賭けた吐合に対する無慈悲な試練。
話したいことは山ほど有るが、
この速度で話さねばならないことが、一つだけある。
そう。
琴欧洲千秋楽休場問題、である。
旭天鵬・栃煌山、そして稀勢の里。
3敗の力士が3人が並んだ状態で迎えた、稀に見る混戦の夏場所。
厳しい相手を千秋楽に迎え究極の緊張感の中では、
力士としてではなく人間としての強さが試される。
こうした生身の人間としてのドラマを
リアルタイムで目の当たりにする機会というのは
実に限られている。
そして3人全員が敗れたとしたら、白鵬を含む4敗の力士にも
チャンスが生まれるという状況もまた、観る者の興味を惹きつけた。
勝っても負けてもドラマ。
千秋楽の土俵上では彼等の生き様が白日の元に晒されるのだ。
こんな愉しい千秋楽が、果たして有っただろうか?
私は記憶に無い。
だが琴欧洲は千秋楽の当日に、事も有ろうに
休場を決めてしまった。
彼の休場は3敗力士の一角たる栃煌山の不戦勝を決定づけ、
4敗力士の望みを完全に絶つばかりではなく、
栃煌山に対する究極の試練の場を奪うことになってしまったのだ。
これは、観る側からすれば興醒めである。
不戦勝の際に発生したブーイングというのも感情的には納得できる。
何故なら、私自身非常にガッカリしたからだ。
この決定をもっと早く出来なかったのだろうか?
取組を直前で変更することは出来なかったのだろうか?
そういう不満は大いに有る。
しかし、今回の批判について看過出来ない論調が有る。
そう。
「琴欧洲は強行出場すべきだった」ということである。
まず客観的事実として「右足根骨靱帯(じんたい)損傷」という症状は
まともに相撲が取れる状態ではない。
ましてや今は損傷で済んでいるが、損傷しているということは
無理をすれば断裂にまで至る危険性をはらんでいるのだ。
上記の状況を踏まえた上で、果たして琴欧洲は
強行出場すべきだったのだろうか?
ブーイングしたファンは、力士生命を賭ける状況であることを鑑みた上で
彼の姿勢を批判したのだろうか?
10年前の貴乃花は、確かに似たような状態で千秋楽の土俵に上がり、
鬼の形相で武蔵丸を破った。
あれは相撲の歴史の中でも屈指の名シーンである。
だが、私は貴乃花の強行出場が正しかったかと言われると
答えに窮してしまう。
壊れると判っていながら土俵に立ち、予想通りその無理が
力士生命を絶つ結果となってしまったのだから。
事実として琴欧洲の休場は、夏場所を大いに醒めさせてしまった。
だが、休場の是非については話は別である。
大変失礼な言い方にはなるが、
我々は琴欧洲をかつての貴乃花のように犠牲にする覚悟を持って、
強行出場を求めるべきだったのだろうか?
このような状況の中で土俵に上がるべきかと問われると意見は別れると思う。
大関の責任や力士としての生き様として出場すべき、
というのも一つの見方である。
しかし、何かと批判的な論調になりがちな昨今にあって
今回の報道については強行出場側の意見が多く露出しているように思う。
この問題について切に願いたいのは、大きな声に流されるのではなく
事実を事実として捉えた上で自らの意見を持ってほしい、ということである。
琴欧州に対する非難の根っこには、公の空気や雰囲気に従うことを是とする日本の同調主義に対して、それを理解しない欧米人の個人主義、という見方があるように思います。
琴欧州が本当に相撲に出れないほどの客観的な外傷を負っていたのかどうか、ということは、そんなにはっきりと線引きできないのではないでしょうか。無理をすれば出れたかもしれないし出れなかったのかもしれない。それは永遠にけりがつかないことだと思います。
むしろ、欧米人に対するカテゴライズとしての「自分の事を大事にするわがままな人間」という理解がほんとうに正しいのかどうか見るべきだと思うし、日本の同調主義の強さも問題視すべきだとおもう。また、さらに琴欧州自身が、そんなにわがままで空気を読まない力士かどうかも考えるべきだと思うし、むしろ彼のブログをみてもそんな風には見えにくいように思います。
記事、楽しく読ませて頂きました。
琴欧洲の件に関して、非の割合は琴欧洲&親方3割、相撲協会7割くらいではないかと個人的には思います。
仰る通り休場自体は止むを得ないと思います。ただ早期に休場を申請する責任があったと思います。これが琴欧洲側の非。
相撲協会側の非としては、申請タイミングに関わらず興行上重要度が高い局面においては取り組みを急遽調整することが出来るといった取り決めを持ち合わせていなかったことです。名指しで琴欧洲を非難するくらいなら、何とか出来なかったのか?と問い詰めたいです。
急遽取り組みを変更するとスポーツとしての公平制を欠くなどの問題が起こるのは分かります。公平制を重視するならするで、それは協会側が責任を負うところであり、その一方で名指しで個人を非難することは不適切に感じます。
運営側の対応も見る側の反応も、相撲がスポーツ的側面と興行的側面(魅せることを重視)を併せ持っていることを象徴する出来事だったと個人的には思います。
いつも冷静に分析されていて、感服して読んでいます。
今回の琴欧洲の問題は、協会の危機管理能力がむしろ問われるように思いました。
前日に既に怪我をしており、かつ千秋楽に大事な一番を組んでいるのですから、協会側から出場できるのか聴取するなり、当日の休場を見越して、取組の差し替え案を用意しておくなりすべきではなかったかと。
まあ、後から言うのは簡単なんですが・・・
琴欧洲の根性に全ての責任を求めるのは酷なように思いました。
そういえばNHKの解説でも北の海親方だったかが「こうもいろいろ言われるなら、勝ち名乗りを受ける前に琴欧洲が出て来て球場を取り消したら面白い」と言っていましたね。
稀勢の里がヒイキの僕としては、把瑠都に休場してほしかったです。