朝青龍は、たまに見るくらいが丁度いい。

年末に朝青龍が、日本で相撲を取っていた。

ボブサップや琴光喜などに対して8連勝という結果はさほど驚くことではなかった。何しろ朝青龍だ。あの朝青龍なのである。彼に相撲を取らせて、素人が勝てるわけが無い。そういう偉大な力士だ。

結果など分かりきっていた。あの時ツイッターを見ながら私が考えたのは、朝青龍とどう付き合っていくということだった。

久しぶりに見る朝青龍は、本当に魅力的だった。

相撲人気低迷の主犯と言ってもいい存在だ。相撲がこんなに面白いということを伝えたいと思い、ブログを始めた私からすると好ましい力士ではない。いや、許されざる力士と言うべきかもしれない。

相撲の信頼を地に落とす行為を、彼はここまで行い続けてきた。

休場中のサッカー。
白鵬との諍いに代表される、品の無い行為の数々。
そして、関東連合への暴行。

朝青龍が引き金を引き、多くの不祥事が重なり、更に朝青龍が不祥事を重ねた。

分かっている。
そんなことは分かっている。

それでも、私は朝青龍が好きなのだ。

嬉しい時は満面の笑みを浮かべ、悔しい時は自分への怒りを露わにする。悲しい時は涙を流す。

それは、私が成長過程で失ったものだ。
そういう人間が居てもいいじゃないか。

ストレートだからこそ、全てが伝わる。そして、喜怒哀楽が全て振り切っているからこそ、自分とは別次元で生きている人間だということで全てを割り切って楽しむことが出来る。

私は今、朝青龍を楽しんでいる。
楽しめているということだと思う。

ツイッターやたまに日本に来る朝青龍を見ると、私は朝青龍が好きであることを再認識させられる。そして、惜しい力士をなくしたものだと思い、もし朝青龍が居れば白鵬を独走させることも暴走させることも無かったのではないかと感じるわけである。

ただ、それはあくまでも朝青龍がモンゴルに居るからだ。

朝青龍にとって、私達が問題視することは小さなことだ。だが、その小さなことの中にこそ、相撲の真髄が有る。今の距離感が有れば、彼の奔放さは笑っていられる。そして、奔放さが小さなことを不問にしている。

播磨灘も、のたり松太郎もそうだ。
あれは漫画だからこそ、楽しんでいられる。

もし大相撲の世界に実在したならば、許されざることだ。たとえそれが振り切っていても、相撲の真髄に反するのでは不快に感じざるを得ない。大相撲の世界に居るならば、大相撲の中の自由の範囲で生きていかねばならないのである。

モンゴルに居るには朝青龍は惜しい。
だが大相撲は、朝青龍には小さ過ぎる。

結局朝青龍は、たまに見るくらいが丁度いいのである。

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