松井秀喜を取り巻く過酷な環境と過剰な期待に見る、最近の力士の不幸とは?前編
松井秀喜が現役を引退した。
今更話すのが不要な野球界のスターであるが、
近年では怪我に泣き、全盛期の成績を挙げることが
困難な状況に陥っていた。
そのため、惜しまれることではあるが
納得のいく決断ではある。
当然のようにそのニュースは大々的に取り上げられ、
ツイッターやブログは松井秀喜の話題で持ちきりである。
甲子園での5連続敬遠。
若くして巨人の4番に抜擢。
シーズンホームラン50本。
そして、ヤンキース移籍、ワールドシリーズMVP。
歴史上のどの野球選手も通過していない道程を経て、
自らの手で歴史を作った松井秀喜。
このような選手がいつ現れるのか。
NPBですら日本人の大砲が育たない現状で、
またメジャーリーグに移籍する日本人が長打を捨てる中で
ヤンキースの中軸として活躍した実績は
特筆すべきものであることは間違いない。
だが、それでも私は思う。
松井秀喜は生まれる時代が悪すぎたのではないか?と。
甲子園のスターから巨人の主軸に成り上がる
というストーリーであれば、原辰徳なども
辿ってきている道である。
巨人の主軸がオロナミンCのCMに出演し、
オリンピックを差し置いてNumberの一面を
プロ野球特集が飾るような、そんな時代。
一昔前であれば松井秀喜はこのような立場に
収まることが出来たのである。
巨人の選手であることが、これ以上無い価値を持っていた
あの時代であれば、巨人の松井であることこそが
野球選手にとっての頂点で、つまり松井は
高卒間もなく人生のゴールを迎えていたことだろう。
だが、時代は彼を巨人の4番で終ることを許さない。
そう。
松井にとっての試練の一つが、イチローの存在である。
イチローがメジャーリーグでリーディングヒッター、
MVPを獲得すると、もう一人のスターたる松井にも
当然のように期待が集まる。
イチローがあれだけ出来たのだから、松井だって。
期待値は否応無しに膨れ上がる。
我々は松井もアレックスロドリゲスやバリーボンズと
同じ土俵で戦えると夢想した。
松井はメジャーに移籍し、ヤンキースで
文句の無い活躍を見せた。これは間違いない。
だが、松井はメジャーリーグでは
オールスターのファン投票で例年選出されるような
スーパースターには成れなかった。
イチローはメジャーでも特別だったが、
松井はグッドプレイヤーだった。
素晴らしい選手ではあるが、
彼に肩を並べる選手はそれなりに存在する。
その活躍に喜びながらも、あれほど圧倒的だった
松井秀喜よりも上の存在が居ることに対して
寂しさを覚えたのは否定できない。
かつてのNPBであれば、日米野球で
圧倒的実力差を見せつけられてもガッカリ感は無かった。
そもそも住む世界が異なるからである。
故に巨人の星に於ける魔球の名前が「大リーグボール」なのだ。
だが、なまじメジャーリーグが近い存在になってしまったが故に
通用するという水準ではなく、トップであることを期待してしまった。
そしてもう一つの試練が、WBCである。
オリンピックでの惨敗やサッカー人気の急騰、
そして松井自身のメジャーリーグ移籍という要素が重なり、
野球人気が低迷する、という状況の中
国際大会を開催することになったわけだが、
松井は出場を辞退することになった。
だが、この大会が激戦に次ぐ激戦で国民的な関心を呼び、
優勝してしまったのだから、気の毒である。
結果としてイチローはその名声を高め、
松井は怪我と共に存在感を失っていくことになってしまった。
井口や黒田であれば西岡や岩隈でフォローできるが、
松井の場合は代えが居ない。
ましてや彼の場合、その移籍が野球人気の低迷の一因と
なってしまったために、出場に対する期待値が高かったことも事実である。
つまり、松井秀喜というのは時代背景から
期待値が凄まじく高かったということである。
昔は後楽園球場で130キロのストレートを打っていれば良かったのに、
今はヤンキースタジアムで160キロをアッパーデッキに叩き込むことを
要求されるのだ。
これはある意味、とてつもなく不幸なことである。
彼はもっと楽に生きられたはずなのである。
だが、この時代に生を受け、イチローやメジャーリーグ、
WBCから逃れられない運命を背負ってしまったが為に
彼は実力相応の名声を得たとは言い難い。
歴史上稀に見る選手でありながら、
闘うステージや比較対象がかつて無いものだったために、
我々は松井秀喜を正しく評価できていないように思う。
そして実は、松井秀喜を取り巻く
過酷な環境と過剰な期待を背負った力士を、
私は一人知っている。
続く。