日馬富士の張り手解禁に見る、横綱としての覚悟とは?

初場所が始まった。
把瑠都の大関復帰や豪栄道の大関昇進など
今場所もまた刺激的な話題は事欠かないが、
一番のトピックと言えば、日馬富士である。
横綱昇進後に9勝6敗。
仮に大関でも赤点という成績は、物議を醸した。
やはり横綱昇進は時期尚早だったのではないか。
日馬富士が横綱に値する成績を挙げたのは
直前の2場所に過ぎなかったのではないか。
様々な意見が出る中、
横綱審議委員は2場所連続で1ケタ勝ち星だった際は
激励という名の引退勧告を仄めかすという
前代未聞の状況まで生み出した。
横綱昇進から僅か2ヶ月で、
引退勧告にまで発展する異常事態。
この状況をどう打開するのか?
日馬富士の真価が問われる初場所である。
初日の相手は栃煌山。


難敵ではあったが、五分の立ち合いから
得意の形に捕まえると、後は万全の形。
付け入る隙の無い、圧勝であった。
未だかつて無い状況の中で自分の相撲を取り切った
日馬富士。
だが、今回の相撲には先場所には無かった
一つの姿が現れた。
そう。
激しい張り手である。
立ち合いは五分の形だったことは前述の通りだが、
流れを引き寄せるために出した次の矢こそ、
張り手だったのである。
これには大きな意味がある。
周囲から理想の横綱像を求められるが為に、
先場所では彼本来の強みである
荒々しい形は影を潜めていた。
横綱に張り手はふさわしくない。
相手の全てを受ける、いわゆる横綱相撲を習得し
優勝を争わなくてはならない。
こうした意見の影響だろうか。
彼に出来る相撲ではなく、求められる姿で
立ち回る日馬富士。
だが体格で劣る部分を運動能力と激しい闘争心で
補ってきた彼にとってこのスタイルチェンジは
良い結果を生み出したとは言えなかった。
こうした中、真価が問われる場所で
五分の状況を打開しようと繰り出したのが、
彼本来の姿だった、というわけである。
どのような心境の変化があったかは判らない。
だが、横綱として求められる成績が挙げられなかった彼が
批判を覚悟の上で行儀の悪い相撲に回帰した、
という見方をすれば、この方向転換の持つ意味の重さが
判るというものだろう。
何を言われても、横綱として譲れないのは勝つこと。
彼はこの取り口を続ける限り、たとえ成績を残せたとしても
批判の声が止むことは無いだろう。
これを甘んじて受け入れ、世間とも白鵬を始めとする
全ての力士とも闘う覚悟を決めた日馬富士。
横綱としての務めを果たすことは、一筋縄ではない。
この方向転換には横綱ではない、
一人の人間としての苦悩と覚悟が垣間見える。
その間、僅か2ヶ月。
地位が人を作り、新たな価値を創造する。
この15日間で、日馬富士がどのようなドラマを残すのか。
興味は尽きない。

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